6月15日 ナツツバキ

このところあちこちのお寺に咲くナツツバキの紹介があります。今日の夕刊にも京都右京区東林寺の公開が始まったと出ていました。会社の門わきにもこの花が植わっており少し満開を過ぎたかな頃です。ツバキに似た直径5~6cmほどの柔らかそうな白い五弁の花の中に長く黄色いおしべがあります。薄緑の葉もいかにも今の季節にぴったりです。ところでこの花お釈迦様入滅の際まわりに咲いていた甘い香りの黄色い花が真っ白い花に変わったという言い伝えがある「シャラ」の木と混同されているようですが、「シャラ」はネパール南部からヒマラヤに自生する科も違えば花の色も姿かたちもまるで違う花のようです。「祇園精舎の鐘の声」で始まる平家物語の一節に詠う沙羅双樹の木はナツツバキで「シャラ」を見たこともない当時の人が勝手に想像したのでしょうね。それでも真っ白く優雅な花が一日で散るのは何となく仏様と結びついてもおかしくはないように思います。

6月14日 梅雨のアジサイ

一足飛びに夏日が続き今年は空梅雨なのかなと思っていましたが今日あたりはしとしと梅雨の雰囲気です。関東地方の梅雨入りは例年6,7日頃のようですが今年はまだ発表されていません。日本はこの梅雨がなければ農作物は育たないし体の調子も悪くなるし水不足の恐れがあります。かといって雨が降りすぎると水害だしなかなか塩梅が難しいのですが何となく風景がぼやーとしており植物は勢いがあり花の色も鮮やかなこの季節は嫌いではありません。昨日成田の宗吾霊堂に今が旬のアジサイを見に行ったのですがもう一つでした。全体的に花の生育が悪く色も少しくすんでいました。ここは珍しく柏葉アジサイが沢山植わっているのですがあの特徴的な突き出したような姿態ももう一つそそりませんでした。それでも梅雨時には通勤途中の家々の庭、道路脇、川端にもこの花はあちこちで見られます。雨に濡れてしっとりした緑に思い思いの色を咲かせるアジサイを待ちましょう。

6月11日 筥崎宮のアジサイ

今年も福岡在住の先輩から筥崎宮で開催されるアジサイ祭りの写真がメールで届きました。ご本人が「恐怖」と称するこれら写真群は5回に分かれ計50枚ほどです。「今年も恐怖の写真を送ります」という挨拶文から回を重ねるごとによくここまで読んでくれましたと慰労の言葉になってきます。私は結構期待しており最初から最後までしっかり鑑賞し気に入ったのは自分の写真ファイルに収めています。今年は気候の所為なのかコロナの影響か(?)色が今一などといいながら実に様々な色、形のアジサイが咲き誇っています。最近の傾向なのか山アジサイが多いようです。以前の使用カメラは一眼レフだったと聞きましたが今回はスマホなんだとか。悔しいかな内容は私自慢のニコンの傑作と変わりません。腕なのでしょうかスマホ技術の進歩なのでしょうか。ところでこの筥崎宮とは日本三大八幡の一つと言われ千年以上の歴史がある福岡では誰でもが知っている神社です。

6月10日 寂聴庵の蛍から

朝日新聞に時々掲載されている寂聴さんのエッセイ。今日は「残された日々」という題でした。寂聴庵で今年初めて蛍を見た。毎年この時期になると現れ、時には知人と連れ立ち清滝まで蛍狩りに行くこともある。体が弱った今はもう清滝に行くこともないだろう、今いるのがこの世なのか彼岸なのか境目も分からないほど長生きしてしまった。もう数えで100歳。と綴る。パートナーを次々に取り換える男の話も出て来ますが、私は彼女の蛍から「其子等に捕らへられむと母が魂蛍となりて夜をきたるらし」という窪田空穂の歌を思い出しました。こちらの方は若くして亡くなった子供たちの母親が蛍に姿を変えその様子を見にきているのですね。それを父親がじっと見ながら子供たちの成長と優しかった妻のことを思い出しています。寂聴さんはもう未練などないこの世ともうすぐ行けるあの世の間のことを語り空穂はこちら側から「生」を感じ片方でそれを眺めているのでしょう。

6月9日 同窓会嫌い

毎度話のタネに取り上げる日経夕刊「あすへの話題」。今日は南木佳士という医者出身の作家。彼は40代の頃(年齢からすると30年近く前か)「うつ病にからめとられているあいだに心身が生きのびることを最優先するべく変容した。:原文のまま」つまり自分史がそこで断ち切られ、過去はいつでも都合よく上書きや修正が可能なものになったという。うつ病はどんなに嘆いても過去には戻れないのだという冷徹な事実を不快な症状として身に染み込ませた。あるとき、それまで興味もなく欠席してきた高校の同窓会で幹事学年代表の短いスピーチを引き受けたのだが「開会式の会場で、ネットなどに老けた顔写真が晒されている身はすぐ認識されるのだが、分かりますか、と近づいてくる60代半ばの男女達に昔の面影を探すのは難しすぎやがてその作業に疲れ果てスピーチを終えると早々に場を去った。やはり過去は毫も懐かしくない。」と結ぶ。分かる気がします。

6月8日 漫画本

日経夕刊「こころの玉手箱」に紫門ふみさんが取り上げられていました。彼女は同年代の漫画家、というより恋愛指南家、人生相談回答者、評論家などマルチな活躍で知られています。彼女の名前の由来はご存じポール・サイモンですがその頃はサイモン&ガーファンクル派とビートルズ派に分かれており私は彼女と同じS&Gでした。彼女の旦那さんは弘兼憲史。世の中では「島耕作」シリーズが有名ですが私はビッグコミック連載の「黄昏流星群」が好きでした。ビッグコミックは創刊時からの愛読書で子供が出来てからも出張の度に持ち帰り彼らも読んでいました。どこまで喜んでくれたのかは分かりませんが多少色っぽい内容に惹かれて見ていたのかもしれません。私、漫画は白戸三平、小島剛夕といった貸本屋時代頃からの読者で小学校の頃に「少年サンデー」や「少年マガジン」といった週刊本が出たのを覚えています。紫門ふみさんの名前からすっかり昔が蘇りました。

6月7日 10秒の壁

昨日鳥取市で行われた「布勢スプリント」男子100m決勝で山県亮太選手が追い風2.0mの条件下で9秒95の日本新記録を樹立して優勝した。これまでサニブラウン・ハキムが持っていた記録を0秒02縮めた。山県は2017年に10秒00を出し壁を超えるのは時間の問題かともいわれていたがその後肺気腫、膝の故障で一時は走ることも大変だったようで今回の復活は本人は勿論応援していた私も非常にうれしく思います。昨今「10秒の壁」などという言葉は死語になりつつありますが世界では1960年に壁が破られるまで8年かかり日本でも1998年に伊藤浩司選手が10秒0を出してから19年後にようやく桐生選手によって9秒台が出ました。0.02秒の短縮は距離にするとおよそ20cmほどなんですがそれを克服するためにどれだけの選手が努力を重ね挫折してきたかを思うと「10秒の壁」はいまだに存在しておりやはり人類の夢なんでしょうね。

6月4日 北海道からの便り

今年も北海道の親せき宅で農業の手伝いをしている町田の住人から恒例の便りがありました。北海道は冬が長いのでどうしても季節のいい5月から10月位までとなるのでしょうが梅雨がない、涼しい北海道はいいでしょうね。雪をかぶった旭岳(多分)、ライラック、ジャガイモ畑(多分)の写真が添付されておりほんの観光でしか行ったことのない身には毒な景色です。富良野も遠くない距離のようなので一面のラベンダー畑あの黒板五郎一家が暮らしていた、田中邦衛が亡くなった今となっては切ない場所にも足を延ばせますね。義弟の手伝いとかでそば、じゃがいも、トウモロコシなどを作っているとのことですが、やれ渓流釣りだ温泉だというのを聞くと「違うだろう」と言いたくなります。鎌倉育ちのお坊ちゃまは「農作業って結構大変なんだよ」とかいいながら「そば打ちを習って自分で育てた蕎麦を食ったがやはりうまいね」などとほざいています。精々お楽しみを。

6月3日 雲仙普賢岳の大噴火

1991年6月3日雲仙普賢岳で大火砕流が発生し消防団員、警察官、報道関係者など43人の犠牲者が出ました。私は当時福岡で勤務していたので噴火する前(90年11月198年ぶりに噴火)家族で行ったことがありました。霧氷を見に行ったこともあり90年冬からの噴火が報道されるのを心配していました。まず5月20日の噴火で後に平成新山と名付けられた溶岩ドームが出来それから火砕流が度々起きていたが6月3日のはテレビで見ていてもぞっとする速さ、規模であっという間に山を下って行きました。それまで火砕流という言葉は知りませんでしたが高熱の火山灰、溶岩の破片、ガスなどが高速で斜面を流れていき山麓にいた人々をあっという間に飲み込んでしまいました。被害者には消防団など住民の救助活動の中で亡くなった方が多く「消防で何かあって死ねたら本望たい」「何ば言いよっと。残された人はどうすると」遺族の無念さはいつまでも消えません。

6月2日 コロナ禍に思う

我が家では一回目のワクチン接種が8月21日に取れていたのですが何回かトライし昨日ようやく6月12日に早まりました。自治体の体制が整ってきたのでしょう2か月以上短縮できたことを喜んでいます。ところで昨晩テレビを見ていたらホームレスの方が取り上げられていました。彼はそれまでの仕事がなくなり2年前から路上生活をしているのですが「いわゆるニュースソース」を何も持っていないため今何が起きているのか全く知らなかったそうです。マスクをしている人が急に増え始め繁華街の人通りが減り「何かおかしいぞ」と気づいたそうです。訪ねてきたボランティアの人からコロナのこと、ワクチン接種のことを聞いたがそんな恩恵は受けられずに死んでしまうのかなと不安になったが援護団体の仲介で住民票がないホームレスの人達にも救いの手が差し伸べられそうだということです。日本では生きていく権利はどんな人にも皆等しくある筈です。よかった。