6月10日 寂聴庵の蛍から

朝日新聞に時々掲載されている寂聴さんのエッセイ。今日は「残された日々」という題でした。寂聴庵で今年初めて蛍を見た。毎年この時期になると現れ、時には知人と連れ立ち清滝まで蛍狩りに行くこともある。体が弱った今はもう清滝に行くこともないだろう、今いるのがこの世なのか彼岸なのか境目も分からないほど長生きしてしまった。もう数えで100歳。と綴る。パートナーを次々に取り換える男の話も出て来ますが、私は彼女の蛍から「其子等に捕らへられむと母が魂蛍となりて夜をきたるらし」という窪田空穂の歌を思い出しました。こちらの方は若くして亡くなった子供たちの母親が蛍に姿を変えその様子を見にきているのですね。それを父親がじっと見ながら子供たちの成長と優しかった妻のことを思い出しています。寂聴さんはもう未練などないこの世ともうすぐ行けるあの世の間のことを語り空穂はこちら側から「生」を感じ片方でそれを眺めているのでしょう。