5月31日 旬のズレ

昨日は父親の墓参ただ我が家のバラは既に散っているし花菖蒲より遅くに咲くアジサイが近所では見事に咲いているしという我が家のバラは既に散っているし花菖蒲より遅くに咲くアジサイが近所では見事に咲いているしという事で大くは期待していなかったのですがまったく予想通り。バラはもう既にほとんどが散っておりわずかにオールドローズがへばりつているだけ。早々に退散し次の佐倉城址。ここの花菖蒲園はかなり広く花も非常に多いので場所により程度は違いますがボチボチ。上手にフレーミングすれば写真も可。最後のラベンダーはアウト。数年前の天候不順の時に大被害を受け只今再生の真っ最中というわけで花はなし。今年は総じて花の旬が前倒ししておりバラ園の管理人によると2週間位は早かったようだ。花は自然に従って子孫を残すために咲いているだけでしょうが旬を待っている人間にしてみれば寂しいものがあります。これもコロナ禍?ではないですよね。

5月28日 サラリーマン川柳

恒例の第一生命サラリーマン川柳のTOP10が発表されました。第一位は「会社へは来るなと上司行けと妻」。これを見てびっくりしました。私は、怖い上司なのかはたまた出来の悪い部下なのか上司から「出社に及ばず」と言われたサラリーマンのことかと思いました。行く場所がない朝妻から「早く会社に行きなさいよ」といわれもしかしたら公園で過ごしている可哀そうな男のことかと思ったのです。選評を見るとどうも考えすぎのようでコロナ禍でテレワークをする事になった男が日中家に馴染まず妻から会社に行けと言われている場面とのこと。私の読み方だとコロナではない理由で命の危険もありそうです。また第100位の「寝ているの?返事がないよWeb会議」に若い頃の大失態がよみがえりました。私の場合は対面会議の場で完璧に睡魔に襲われたのです。今は好々爺になっている当時の上司から「いくらくだらない会議でも目の前で寝るな!」と𠮟られたのです。

5月27日 縄文遺跡群世界遺産に

ユネスコの諮問機関が26日「北海道・北東北の縄文遺跡群」を世界文化遺産に登録するよう勧告したというニュースがありました。縄文遺跡群は大規模集落跡の青森県三内丸山(さんないまるやま)遺跡や秋田鹿角市の大湯環状列石など4道県13市町にある17遺跡で構成されており1万年以上にわたって営まれた狩猟や採集を基盤とした定住生活の変遷を網羅し農耕以前の人類の生活や精神文化の実態を示す貴重な物証と認められたということです。三内丸山遺跡からは彼らが栗を栽培しヒョウタン、ゴボウ、マメなどを食べ竪穴住居に定住していた跡が見つかりそれまでの私の稲作以前の縄文知識をすべて壊してしまいました、さらに墓や祈りの場も見つかり豊かな精神文化があったことを窺わせます。また北海道では獲れないいのししの牙製品がみつかるなど当時すでに広く交易が行われており津軽海峡を挟んで同一の文化圏が形成されていたことが分かる価値ある遺跡群です。

5月26日 ボルヴィック枯渇の危機?

今日グーグルをペラペラめくっていたら「ボルヴィック水源くみ過ぎて枯渇の危機」という記事が出ていました。日本でミネラルウォーターが一般的になってきたのは30年近く前でしょうか。ボルヴィック、エビアン、ヴァルヴェールなどといったヨーロッパの水が出回り始めそれまで「水を買う?」という時代から大きく変わったのを覚えています。その頃の代表選手の一つがボルヴィックですがフランス中西部にあるここの水源が枯渇し始めているというものです。100年近く前源泉の流出量は毎秒500トン近くあったが今では1/10になり近所の農地も湿度が下がり地域の生物にも影響を与え野菜も育たなくなっているとのこと。発売元であるダノンは水源を守るために多大な投資をしているというが専門家は「ここ数年の降雨量は安定している、地下100mから水をくみ上げておりまるでバスタブの底から水をくみ上げ空にしているようなものだ」と指摘している。

5月25日 亀田興毅

日経夕刊をめくると、それでも親子という欄に「ボクシングジム会長 亀田興毅さん」という文字が目につきました。写真は薄いグレーのスーツにやや紫がかった同系色のネクタイをし髪はサラリーマン風、まゆが少し下がり本当にあの亀田興毅?と疑いました。ジムの会長として興行数が減った今、オンラインでの試合配信や選手のマネジメントに力を入れているんだとか。選手時代の彼は坊主頭でいかにもやんちゃな顔をし悪役丸出しの父親と共に「亀田家風」を演出していたのでしょう。弟達二人もチャンピオンになり悪ガキ「亀田三兄弟」として一世を風靡しました。彼のボクシングスタイルは徹底してガードを固めまず顔を打たれることはなく機を見ての連打で三階級を制覇しました。多分本当の性格は堅実で努力家で長男としての責任感に溢れた人だったのでしょう。当時バッシングに晒されていた父親への愛情あふれた言葉を見るとすっかり大人になったなアと感じました。

5月24日 パナ優勝、福岡引退

昨日ラグビー日本選手権を兼ねたトップリーグのプレーオフトーナメント決勝がパナソニック対サントリーで行われパナソニックが31対26で勝ちました。トップリーグはワールドカップで活躍した選手が沢山参加しており特にサントリーはニュージランドはオールブラックス代表のSOで世界年間MVPにも選ばれているボーデン・バレットというスーパースターを中心にして勝ち上がりまたパナソニックは我慢強い守備と今シーズンでユニフォームを脱ぎ医者の道を志すWTB福岡の俊足で決勝に駒を進めました。特に福岡選手は甥っ子と同じクラブにいたという縁で高校時代からずっと応援しており昨日はテレビ桟敷にかじりつきでした。試合はサントリーが何度もパナ陣営に攻め込むが点に結びつかずまたバレットも本来の力を発揮できず、福岡の一瞬のスキをついたゴールを含め4つのトライでパナ勝利。熱戦に興奮も福岡のあの雄姿がもう見られないのは寂しい限りです。

5月21日 面白い坊さん

日経夕刊「人間発見」に紹介されている全日本仏教界理事長戸松義晴氏がおもしろい。この方は東京タワー下の心光院という寺の住職です。坊主になる気はなかったようで4大卒後仏教系院さらにハーバード大の神学院に行ったという経歴も変わっていますが考え言動が素晴らしい。AIは個人の多様性に対応できるが仏教も絶対的な正義を目指すのではなく一人一人が悟りを開くのを理想とするので相性がいい、極端な話AIが悩める個人を救うのなら寺も坊さんもいなくていいとも。元々仏教の考え方は、檀家との組織的な関係でやってきたお寺とは相性が悪いので「お寺離れ」は加速しても「仏教離れ」は起きないという。自分が看取られる立場だったら死んだ後に知らない人が来て経を読んでくれてもあまり意味はないとも。宗教は生きている人の為にこそ役立つべきで若い僧たちが地域の問題に向き合い檀家ではない住民とも新しい関係を築いていけばお寺は生き残れるという。

5月20日 反則負け

昨晩スポーツニュースで大相撲の結果を見ていると大関照ノ富士と妙義龍の一戦でアナウンサーの妙な前置きがあったので興味をそそられて見ていたら、相撲は圧倒的に照ノ富士が勝っているのに物言いが付き何と反則負け。ビデオ見ると確かに小手投げを打った照ノ富士の手は妙義龍が体が土俵に落ちる前にマゲに掛かっており最後は引っ張っているように見える。物言いの説明が終わると照ノ富士は承服しかねるような顔、一方妙義龍も狐に包まれたような顔で懸賞金を受け取っている。相撲で勝ち勝負に負けたという言い方がありますがまさに典型的な例です。相撲の流れであのようになってしまったのであって意図的にマゲを引っ張って倒そうとしたのではないことは分かりますが負けは負けなんですね。今場所の照ノ富士は手が付けられないほどの強さで11連勝、ぶっちぎりの優勝で横綱への足掛かりとかと思ったのですが。ここはひとつ気を取り直し頑張ってほしいですね。

5月19日 がん死亡者増

日経夕刊に東大特任教授の中川恵一氏が「がん社会を診る」というコラムを担当していますが今日の内容は考えさせられた。昨年の国内の死亡者数は前年より9000人以上減った。死亡数は高齢化により年2万人程度増えていたので平年より3万人近く減少したことになる。マスク着用や手洗いなど新型コロナ対策でコロナ以外の肺炎やインフルエンザによる死亡数が大きく減少したためだろう、またコロナによる死亡数は3,500人で、心筋梗塞や脳梗塞などの他、不慮の事故も減っておりコロナ対策や在宅勤務などによる死亡数の減少幅のほうが大きかったことになる。ところが厚労省の発表では昨年10月までのデータでがんによる死亡数が増えている。国立がんセンターの予測では対前年比ー900人だったのに。この大きな理由はコロナを恐れるあまりの「自粛」だという。検診や受診の自粛は進行がんを増やし長期的には死亡数の増加につながる大きな問題だといいます。

5月18日 奥の細道行

今から332年前の5月16日(旧暦3月27日)芭蕉は当時住んでいた深川から船で奥の細道の旅に出ました。日光、奥州から日本海側に出て大垣までの150日、5か月間、約2,400kmという長旅です。その間上陸地千住での「行く春や鳥啼き魚の目は泪」から最終到着地大垣での「蛤のふたみに別れ行く秋ぞ」まで50句ほどを交えた日本でも屈指の創作紀行文「奥の細道」を書いたのですね。平泉に至るころまでは古くからの歌枕あるいは西行の足跡を追った旅だったようですが段々「かるみ」の境地に入っていき彼の創作活動の大きな転換点となりました。奥の細道の序文は学校でも暗唱させられた記憶がありますが当時はまったく彼の凄さには気付いてなくましてや旅に出る彼の覚悟の程も分かっていませんでした。年を経色んな人が奥の細道について書いてあるのを読みさらに稀代の芭蕉専科長谷川櫂に出会ってから芭蕉の素晴らしさに引きずり込まれました。