108の煩悩

コメントはスパム対策のため受け付けておりません。

ご意見・ご感想・ご要望はkyougikai.info@gmail.comまで。

------------------------

もう、間もなく除夜の鐘が聞こえる頃にこのブログを書いています。書き終わる頃にはひょっとして鐘が鳴り始めるかもしれません。(少なくとも鳴り終わるまでにこのブログを書き上げないと初詣に間に合わない……)

さて、除夜の鐘とは「108個あるといわれる人間の煩悩(人を不幸に導く妄念や欲望)を鐘の音で滅ぼす」ために108回鳴らされるものだということは皆さんご存知でしょう。

しかし、「では具体的に108の煩悩とはどんなものか?」と言われて108個をズラリと暗記してスラスラ言える人は滅多にいないでしょう。現役の僧侶でも希有ではないでしょうか。(ひょっとして雑学王と呼ばれる人たちなら暗記しているかも)

もちろんここで108の煩悩すべてを紹介する気力も知力もない私ではありますが、私が説明できる範囲でいくつかピックアップしてご紹介したいと思います。

 

●苦締貪(くたいとん)

執着心のことです。「執着を捨てなさい」というのは仏教の基本的な教えですが、「執着は捨てなくてはならない」という強い思い込みや信念まで含めて執着であると指摘する厳しさが仏教にはあります。「私は悟りを開きたい」「偉くなって人々を救いたい」などという立派な志も、それが強すぎて執着になってはいけないというところが難しいようです。

●苦締辺執見(くたいへんじっけん)

極端な思考もまた煩悩に数えられます。たとえば政治的思想は大きく「右翼、左翼」に分けられますが、そのなかで「極右」「極左」と呼ばれるような思想は過激であり危険です。本来は人々を平和で幸せにするための政治なのに、思想が極端になると弊害のほうが大きくなってしまいます。

仏教では「中道」を大切にします。これは日和見主義というわけではなく、「右と左(政治に限らず)のどちらにも、それなりの正しさがある。しかしそのどちらに偏り過ぎても弊害が大きい。どちらの言い分も理解したうえで、その真ん中あたりの中道をバランス良く生きるべきだ」という考えです。

たとえばその昔、1960~70年代にかけて、学生運動は激しさを極めました。1960年の安保闘争、1968~1970年の全共闘運動大学紛争など。運動家に加えて一般学生も運動に加わり、デモや授業のボイコット、バリケードを築いて学内占拠をしたり、ついには暴行や誘拐、殺人にまで及んだ組織もありました。

元は健全で正当、純粋な抵抗だったはずの学生運動も、思想の偏りや過激化によって悪質化してしまいます。昨今、SNSやフェイクニュースなどに煽られて苦締辺執見に陥る人も少なくないようです。強く戒めたいと思います。

●集締見取見(じったいけんしゅけん)、無色界苦締慢(むしきかいくたいまん)、道締慢(どうたいまん)、 色界苦締慢(しきかいくたいまん)

これらは「自分こそが正しい。自分こそが最も優れている。そう思い込んだり主張したり誇ったり、また他人からそれを認められたいと執着する」という煩悩です。

仏教では煩悩の原因となる人間の本能や自我を細かく分析していきますから、このようにひとまとめにできる事柄も細分化してひとつひとつ煩悩に数えていきます。

つまりは(本当は自分が正しいのに、他人はわかってくれない)と落ち込むのも(仮にそれが本当に正しかったにせよ)執着による煩悩だということです。他人を論破しようと我を張ったり自慢したりすることは、傍目からも見苦しいことは皆さんおわかりでしょう。

 

おや、除夜の鐘が聞こえ始めたようです。そろそろこのへんで切り上げて、本年のブログの締めくくりとしましょう。

来年もよろしくお願いいたします。

------------------------

【お願い】

当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しているため統一性がありません。ご了承ください。

当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。内容のエビデンスも取っていません。「素人がちょっと聞きかじった程度の話」とご笑覧ください。 

 

らもやんのこと

コメントはスパム対策のため受け付けておりません。

ご意見・ご感想・ご要望はkyougikai.info@gmail.comまで。

------------------------

年末の怒濤のような仕事をなんとかうっちゃり、ようやく年末の休暇がとれた「私」です。

本日は自宅でくつろぎながら、普段なかなか読めない本を読んだりしてのんびり過ごしています(もちろんすでにほろ酔い加減です)。

読んでいるのは「啓蒙かまぼこ新聞」という中島らも氏の著書です(本というよりは大半が自筆のマンガなのですが)。

「中島らも」という人とはまったく面識がありませんが、どういうわけか私とは間接的にはずいぶん縁の深い人なのです。なので以降は親しみを込めて「らもやん」と呼ぶことにします。

らもやんとは、第一に「印刷屋に勤め広告業界に転身、コピーライターを経て著述業」という経歴自体が私と同一です。また、私はバブル時代に大阪でコピーライターをしており、同時代同地域の同業者でもありました。

もっともその頃のらもやんは著述業や「笑殺軍団リリパットアーミー」という劇団の座付き作者(時々出演もする)として有名になっており、コピーライターという看板はおろさないものの広告制作の仕事はしていなかったようです。唯一、関西の老舗練り物メーカーだった「かねてつ食品(現カネテツデリカフーズ)」にコネがあったようで(正確に言うと当時常務だった村上健 現会長と中高時代の同級生)、「啓蒙かまぼこ新聞」という連載広告を雑誌「宝島」に掲載した程度でしょうか。

これ以降、らもやんは急激に全国的な著名人になっていきました。とはいえ有名になったのは決して小説やエッセイの面白さがズバ抜けていたからではなく(確かに面白かったのですが)、アルコールや薬物にひどく依存しているせいで言動が異様だった(風貌もオズの魔法使いに登場する東の悪い魔女を強引に男にしたような……)点が大きかったと思います。小説家のほかミュージシャン(ギターも歌も死ぬほど下手だった……)でもありました。マンガも描き(下手だった……)、創作落語もやる(ムチャクチャだが面白かった!)というマルチタレントでもありました。

らもやんはリタリンをはじめさまざまな薬物に依存していたようですが、「麻薬だけには手を出さない」のが当人の長年のポリシーでした。しかしこれも怪しいものだと思います。後年オランダで大麻を吸ったことを公表し、自宅からはマジックマッシュルームが押収されて懲役10ヶ月、執行猶予3年の判決を受けています。

もうこの頃のらもやんは「大阪の名物男」のひとりとして数えられるほどになっており、このような判決を受けても誰も驚かず「ああ、らもやんのこっちゃからしゃぁないなあ」と大阪の民衆に受け流される(というより見捨てられている)感じだったことを覚えています。

らもやんの最後は「ライブの打ち上げで泥酔して飲み屋の階段から転落、脳挫傷」というものでした。享年52歳。命日は200475日。

若すぎる死ではありましたが、我々広告仲間も「ああ、らもやんらしい最後やったなあ」と惜しみつつも妙に納得したりしたものです。

そんならもやんが亡くなってからもう20年近くが経過しました。

「えっ、もうそんなに経つのか。つい数年前のことのようだった気がするがなあ」と感じるのは、これが本当の「去る者は日日に疎し」ということなのでしょう。

今年亡くなった著名人といえば、私が個人的に思い入れの深い人に限っても

・「探偵ナイトスクープ」元局長の上岡龍太郎

・「ムツゴロウ」こと畑正憲

・「教授」ことYMOの坂本龍一、同じく高橋幸宏

・「銀河鉄道999(個人的には男おいどん)」の松本零士

・「タラちゃん」の貴家堂子

・「帰ってきたウルトラマン」の団時朗(次郎)

・中華の鉄人 陳建一

・「のっぽさん」こと高見のっぽ

(順不同、敬称略)

と、少年期~青年期に憧れた人たちの多くが含まれます。そろそろ同世代の訃報も聞こえ始めました。なんとも心細い限りです。

やれやれ、話がすっかり湿っぽくなってしまいました。そろそろ本の世界に戻ることにします。

どうぞ皆様良いお年をお迎えください。

------------------------

【お願い】

当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しているため統一性がありません。ご了承ください。

当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。内容のエビデンスも取っていません。「素人がちょっと聞きかじった程度の話」とご笑覧ください。 

あわてない あわてない。ひと休み ひと休み♪

コメントはスパム対策のため受け付けておりません。

ご意見・ご感想・ご要望はkyougikai.info@gmail.comまで。

---------------------------

いよいよ本年も押し詰まってまいりました。

皆様のなかには、昨日が仕事納めだったという方も多いでしょう。しかし業種や職種によっては年末ギリギリまで業務が押し押しで、「無事新年が迎えられるだろうか?」とヒヤヒヤしている方もおられるかと思います。

そんな方にお聞かせしたいのが『一休さん』というアニメの「あわてない あわてない。ひと休み ひと休み♪」という有名なセリフ。(一休さんの声は声優の故・藤田淑子さんでした)

さて、皆さんはこの「一休さん」というアニメをご存知でしょうか?

「一休さん」の話はほとんど知らない人はいないと思います。頭脳優秀な一休さんという小坊主が「とんち(卓越した知恵)」で困っている人々を助けたり威張る大人をへこませたりするという物語です。「このはしわたるべからず」「屏風の虎をつかまえろ」など、多くのエピソードが広く知られていますね。

そしてこの一休さんが室町時代に実在した『一休宗純』という臨済宗(禅宗のひとつ)の僧侶で、出家前の幼名は『千菊丸』。一説によると後小松天皇の子だったとされることも多くの人がご存知でしょう。

アニメ版(1975年10月15日から1982年6月28日まで放送)の『一休さん』をご記憶の方は、おそらく現在50代後半より上の世代だろうと思います。7年間も続いた人気アニメですから、もう少し下の世代でも「なんとなく見たことはある」「再放送で見た」という方もいらっしゃるでしょう。

このアニメ版は子供向けに制作されたものですから、主要な部分は史実に忠実ですが細部はいろいろとデフォルメされています。

安国寺というお寺や外観和尚(像外集鑑)は実在しましたが、当時の安国寺は室町幕府に庇護されている立派な寺院で、住職の他は小坊主が何人かいるだけの貧乏寺などではありませんでした。

「新右衛門さん」と小坊主たちに慕われる『蜷川新右衛』も実在のお侍さんです。ただし当時は「寺社奉行」などという役職はなく、年齢も一休さんより年下でした。「将軍様」と呼ばれる足利義満公は確かに金閣寺に隠居所していましたが、すでに将軍職は引退しています。

そもそも安国寺時代の一休さんはまだ「周建」という名前でした。

アニメ版一休さんといえば、「ハーイ! あわてない あわてない。ひと休み ひと休み♪」という台詞を思い浮かべますが、これは一休さんが長じて京都の大徳寺で『華叟宗曇』という高僧の弟子になった際、公案(修行僧が師匠から与えられる課題)に対して『有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け』と答えた、というエピソードに依ります。

現代風にいうと「どうせこの世は迷いの世界(有漏路)。そして悟りの世界(無漏路)に向かう過程である人生は、いわば「ひと休み」のようなもの。どんなつらいことがあってもしょせんは一時のこと。たいしたことないじゃないか」と高をくくり達観しているようです。また、その裏返しとして「どんなにつらくとも私は修行の道を突き進む」という決意表明にも読めます。

この答えを聞いた華叟和尚、「悟りは開けた」と認め『一休』という号を与えます。一休宗純28歳のときでした。

私たちは「今年」「来年」と暦を切り分けますが、実際には時間は連続しており、人間に感じられる区切りや節目などは実在しません。時節はあくまでも抽象的な概念に過ぎないのです。だからこそ、人間は節目をつくることによって自らを律する必要があります。

とはいえ、抽象概念に囚われ過ぎるのもよくありません。

「新年と変わるは名前ばかりなり 日に日を継ぐ間に ひと休みせん」

あなたも年末のあわただしさから心を解き放ち、くつろぐ時間を意識的に作ってみませんか?

あわてない、あわてない。ひと休み ひと休み♪

 

------------------------

【お願い】

当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しているため統一性がありません。ご了承ください。

当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。内容のエビデンスも取っていません。「素人がちょっと聞きかじった程度の話」とご笑覧ください。 

 

 

 

 

もう一回、「大掃除」の話。

※コメントはスパム対策のため受け付けておりません。

ご意見・ご感想・ご要望はkyougikai.info@gmail.comまで。

-------------------------------

今日は大掃除の話を書こうと思っていたら、おや、もうすでに「昨日の私」が書いていたのですね。

まぁいいや。どうしても大掃除のことを書きたいので(他にネタがない)二日続けて同じテーマにお付き合いください。

掃除というのは結構な労力を費やす割に報われない仕事です。

掃除をした本人は「ああ、大変だった! しかし苦労の甲斐あって、見違えるほどに美しくなった!!」とささやかな自己満足に浸ります。

しかし、他の人がそれを見て「わぁ! 見違えるようにキレイになったね!! さぞや大変だったでしょう!!」と感動して褒めてくれることは滅多にありません。

家にせよ職場にせよ、新築の頃は当然ピカピカしていて美しいものです。それが経年によってだんだん汚れてくると「汚いなあ」とは感じます。

ところが、掃除によってある程度美観を回復した程度では人は感動してくれません。チラッと一瞥して(ああ、掃除をしたのだな)と軽く受け流す程度で、ほとんどの人は気にもとめないでしょう。下手をすると掃除をしたこと自体に気づかないかもしれません。

大掃除をした本人は「大変だったな。でもその甲斐があった。みんな喜んでくれるだろう」と思っていても、掃除が終わった瞬間その美しさは当たり前のものになってしまうのです。

これは掃除だけに限った話ではありません。電気、水道、ガス。そして街を歩けば毎日営業しているお店。家庭に配達される郵便、宅配便、そして新聞。

それが当たり前の毎日。「欠かせないものではあるけれど、誰かがそれを守っている。私たちの社会や生活は誰かの汗によって支えられている」ということを人は忘れがちです。(これは自戒の念も込めて書いています)。

そういえば、小金原のいちょう通りのイチョウも完全に散ってしまいましたね。けやき通りも21世紀の森と広場、東善寺あたりの紅葉もずいぶん寂しくなりました。

しかし、道を埋め尽くすほど大量にあったはずの落ち葉はいったい誰が片付けたのでしょう?

「当たり前のことが当たり前に在る」ということは、とても有り難いこと。

いよいよ年の瀬、そしてまもなく新年です。こういう節目の時期に改めて「ふだんの当たり前を維持してくれる多くの人々」について思いを馳せたり、感謝したりする時間を持ってもいいのではないでしょうか。

-------------------------------

※当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しています。統一性のなさはご勘弁願います。

※当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。ブログ内容のエビデンスも取っていません。「素人がちょっと聞きかじった程度の話」とご笑覧ください。

大掃除は終わりましたか?

皆様、こんにちは、こんばんは。そしておはようございます。

皆様のお宅や職場では、もう年末の大掃除は終えられましたか?

私の職場では、仕事納めを明日に控えて最終日にやらなくてはならない仕事があるため、一日前倒しで本日大掃除を済ませました。

「今時、そんなの業者に任せれば?」という声も聞こえなくはありません。しかし私は、実は「職場の大掃除」がこっそり好きだったりします。

いえいえ、決して格好をつけていい子ぶって言うわけではありません。日頃、業務に追われてなかなか徹底できない掃除。よく見ればあちこちに一年の汚れが溜まっています。目につくところの汚れも「後で掃除しよう」と思いながら、つい目先の仕事をしているうちに忘れてしまうことがしばしば。大掃除はそういう細々した部分を徹底的にキレイにする絶好のチャンスです。

職場には、この一年の思いが詰まっています。あんな仕事もした。こんな仕事もした。あれは大変だったなあ……。このカーペットのしみは、あのときコーヒーをこぼして一生懸命拭いたのだけれど、結局跡が残ってしまったなぁ。掃除をしながらいろんなことを思い出します。そして机を動かしてみると、「あっ! あのとき無くなって大慌てしたメモだ! こんなところに落としていたのか」なんてことも。

掃除は物理的な清掃作業だけではなく、この一年間の記憶や心の掃除でもあるのですね。そして普段一緒に仕事をしている同僚や上司、部下と「仕事以外でやる共同作業」もなかなか悪くないものです。ズボラだと思っていたAさんが意外に細かい部分の汚れまで神経質だったり、几帳面と思っていたBさんが案外雑な掃除をしたり。色んな人の一面が垣間見えます。そして大いに体を動かすと身も心もスッキリ! ただしところどころ痛む部分もあって普段の運動不足ぶりを痛感します。

「では、仕事納めが終わったらいよいよ自宅の大掃除をやるか!」

ところが、自宅の大掃除は毎年、雑なんですよねぇ私の家は。

一年間働き通して、やっと辿り着いた年末年始の休み。大掃除とはいえこれ以上働くのは勘弁して! ついついそんな怠け心に負け続けてきた歳月です。

皆様のお宅はきっとそんなことはなく、さぞやピカピカの状態で新年をお迎えになることだろうと思います。「そうではない」とおっしゃる方には心からシンパシーを贈ります。

 

ご存じでしたか? 今日は「ボクシングデー」。

日本のクリスマスはイブの24日がピークで、25日になるとそそくさと後始末をして、いよいよ年末年始のムード一色になるように思います。25日の朝を楽しみに待っているのは、サンタクロースからのプレゼントを心待ちにしている子供たちくらいなのかもしれません。

さて、アメリカでもクリスマスイブがもっとも盛り上がるのは日本と同様ですが、日本と異なるのは25日がお休みでお店もあまり営業しておらず、「家族で一日のんびりと過ごす」のが伝統的な慣習なのだそうです。

一方、イギリスのクリスマスはお正月と一体化しており、クリスマスから新年の1月5日までが連続したイベントウィークとなっています。日本の年賀状の役割を果たすのがクリスマスカード。届いたクリスマスカードは1月5日まで飾っておくのがマナーとされています。

さて、日本ではイブのメインイベントとされるクリスマスディナーですが、イギリスでは最大のご馳走は25日のクリスマス当日、しかもディナーではなく午後にいただく「遅めの昼食」といった位置づけです。

そして、クリスマスの翌日、12月26日は祝日となっていて「Boxing Day(ボクシング・デー)」と呼ばれます。

ボクシングといっても、別に殴りっこをするわけではありません。クリスマスの翌日、プレゼントの入った箱(box)を持って教会に出かけた風習の名残(今もそうしている人たちは大勢いるようです)で、教会や裕福な人が貧しい人のために施しをする日でもあります。

さて、もっとユニークな風習を持つフィリピンのクリスマスについてご紹介しましょう。

フィリピンでは、企業が従業員に”13th month pay”という賃金を支払います。これはボーナスとは別で、会社には法律で支払いが義務づけられています。

フィリピンの労働層は決して豊かとは言えませんが、こうした制度のおかげで心も懐も豊かに新年が迎えられるのではないでしょうか。

フィリピンのクリスマススイーツは「プト(Puto)」と呼ばれる、蒸し米をココナツミルクで味付けしたものと「ビビンカ(bibingka)」という米粉を蒸してココナツフレークやチーズなどをトッピングしたお菓子。いかにもフィリピンらしい食べ物です。

さて、なぜアメリカ、イギリス……ときて突然フィリピンのクリスマスを紹介したのか? というと、実はボクシング・デーである今日、どうしても忘れられない「彼ら」のことについて触れたかったからです。

「彼ら」とは、フィリピンから来て新聞配達などをしながら学業に励むフィリピン留学生たちのことです。

フィリピンに限りませんが、日本の一部の新聞販売店などでは経済的な事情から自国で進学できない若者を日本に招いています。新聞販売店だけでなく、日本の多くの製造業や小売業、流通業は深刻な人手不足に苦しんでいます。海外の若い人たちに働いてもらう代わりに進学を支援する。そして一定の年数が経過したら正社員として迎え入れたり、本人の進みたい進路に進むのを支援してあげたりというwin-winの関係を目指しています。待遇も業務量も日本人と差別はありません。

とはいえ。異国で慣れない仕事に励む彼ら(もちろん女性もいます)のことを思うと胸が痛むのです。

新聞配達にイブもクリスマスもありません。もちろん13th month payもありません(日本人と同じようにボーナスは支給されているそうです)。さぞやつらいこともあるだろう、心細い時もあるだろうと思いやられるのです。

しかし彼らのほとんどは非常に真面目で優秀。仕事にも前向きで、給料の大半を将来のために貯蓄したり母国に仕送りしたりしているといいます。

皆さん、もし街中で彼らの……働く外国人の若い人々を見たら、優しい言葉をかけないまでも暖かい眼差しで見てあげてください。彼らの力がきっと日本の将来のために役立つはずです。

 

 

疲労が溜まる頃

私事ですが、この一年は個人的に激動の一年でした。

まず、つい最近の異動で松戸新聞販売協議会ポスティング部で働くことになり、その引継ぎやら慣れない仕事で心身ともに疲れが蓄積しました。夏場にはちょっとした病気もしており、その療養のせいもあって非常に短く感じた一年です。

寒さが本格的になってきて、肩や背中のこわばりを感じます。特に首筋の凝りがひどく、時々錐を突き刺したかのような鋭い痛みが走るのです。

「やれやれ、すっかり疲れが溜まってしまった。若い頃と違って一晩ぐっすり眠れば疲れがとれるなんてことはない。せめて数日、できれば一週間くらいゆっくり休んで温泉にでも行きたいものだ」と思ったら、世の中よくしたものでもう数日で年末年始の休暇に入ります。

もちろんその間に「あれもやりたいこれもやりたい、前々から気になっていた例の件を片付けよう」と思わなくもありませんが、あまり欲張るのもどうかと思います。

「休むときに休んでおかないと、働かなくてはならない時に無理が利かない」。この数年特にそう思うようになったのは、やはり年齢のせいでしょう。

しかし歳の話は置くとしても、人間誰しも一年間も働き続ければ金属疲労ならぬ勤続疲労は多少なりとも溜まるものです。若い人はあれこれレジャーの予定を詰め込みたがるかもしれませんが、やはりある程度は頭も体も休めてリフレッシュしたほうがいいと思います。

こたつで丸くなって、日頃はなかなかすべて読み切れない新聞を隅々までじっくり読みながらお屠蘇とおせち料理でほろ酔い気分、眠くなったらこたつでうたた寝。そんなお正月が待ち遠しいこの頃です。

おっと! その前に仕事納めまでに片付けなくてはならない仕事、年始の挨拶回りのスケジュールづくり、そして職場と家庭の大掃除……といろいろ忙しいことが残っていました。おそらくこれを読んでいる多くの方々も同じような立場かと拝察します。

さあ、年末まで気合いを入れ直してもうひと頑張りしましょう!

 

「どっちでもいい」話。

※コメントはスパム対策のため受け付けておりません。

ご意見・ご感想・ご要望はkyougikai.info@gmail.comまで。

-------------------------------

読者の皆様、ご機嫌いかがでしょうか?

今日のテーマは「どっちでもいい」。

私は年齢とともに「どっちでもいい、どちらでも同じことだ」と思うことが増えてきました。

 

さて「どっちでもいい」ということは私たちの身の回りに数多くあります。

たとえば私は今朝、こんな体験をしました。

私は平素「職場に始業ギリギリに到着してドタバタと支度をするのは良くない。あわてて仕事に取りかかると抜け落ちやミスの原因になる」と考えて定刻の30分前までには職場に到着することにしています。このため通勤電車は本来適切な便よりも2本ほど早めに乗っています。

しかし今朝は家でちょっとしたアクシデントがあり、いつもの電車に間に合わなくなりました。もう2本後の電車でもいいのですが、「なんとか次の電車には間に合わせたい」と慌ただしく身支度を整えました。

そのせいで、もう少しでスマートフォンと腕時計を忘れそうになったのです。

「いかんいかん、落ち着け。もっとテキパキと的確に素早く行動するんだ!」そう自分に言い聞かせて身支度を終えましたが、家を出てからマフラーを忘れていたことに気づき、結局片道40分、往復1時間20分ほど寒い思いをすることになりました。

電車のなかで私は考えました。そしてふと気づいたのです。

「そうだ、会社でバタバタするのも良くないが、余裕を持とうと自宅で焦ったって結果は同じことじゃないか!」

そう。結局同じことだったのです。余裕のない朝は結局どうしたって余裕がないのです。それなら、ゆっくりと身支度をして余裕をもって出勤し、移動中に今日の仕事の段取りを考えておけば同じことだったのです。

これなら最初から「遅刻しなければいいのだから、2本後の電車に乗ると決めてじっくり落ち着いて身支度をしよう」と腹をくくるべきでした。

人生万事がこれと同じで、長く生きれば生きるほど「若いときは生き急いでいろいろと焦ったり急いだり無理をしたりした。何でもスピーディに生きたほうが合理的で有利だと思っていたからだが、今から見れば結局は同じことだったな。もっとゆったり構えて落ち着いて物事に向き合ったほうが、むしろ結果は良かっただろう」などと思い返すことが増えていきます。

そしてさらにこのことを考えていると、「逆に、歳をとってから『どっちでもいい』とは思わなくなったこともあるな」とも気づきました。

若い人にとってはどうでもいい、「そんなのどっちでもいいじゃないか」と言われるようなことが、歳をとってくるといろいろな知識がついてこだわりが生じ、「いや、よくない!」などと頑張って頑固ジジィぶりを発揮することが増えていきます。

結局、老いも若きもどっちもどっち。それこそ「どっちでもいい」話なのかもしれません。

 

※当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しています。

※当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。ブログ内容のエビデンスもとっていません。「ちょっと詳しい素人の主観」程度のブログとご笑覧ください。

 

アロマオイルでリンパマッサージはいかが?

皆様、こんにちは。こんばんは。おはようございます!

私(昨日の私とは別の私です)は、ヘルスケアや美容(特に美肌)、そしてメンタルヘルスケアに大変関心が高いのです。

新聞とも協議会ともまったく関係ありませんが、「読者の皆様の興味を持たれるようなことなら何でも自由に書いていい」と言われたので、今日は『アロママッサージ』についてご紹介したいと思います。

 

は? 若い女性じゃないとアロママッサージなんて無縁???

いいえ。そうではないのです。老若男女すべての皆様にぜひお試しいただきたいと思います!

たとえばテラスモール松戸のロフトや市内各地にあるハンズ、MUJI(無印良品)などのショップに行くと必ずといっていいほどアロマ関連のコーナーがあります。

そこには各種アロマエッセンスを配合した美容用のオリーブオイルを売っています。高級なものからリーズナブルなものまで多種多様です。

「そんなものを買うのはちょっと気が引ける……」という方は食用のオリーブオイルでもかまいません。ただし添加物のない/少ない、なるべく良質なエクストラバージンオイルをお使いください。アロマではありませんがオリーブの匂いもまた素敵です。(安物は油くさいのでご注意!)

お風呂に入ったとき、軽く頭~顔までをお湯で洗ってから鎖骨が出るくらいまで浴槽につかり、額の中央に垂れない程度にオイルを塗ります。

このオイルを指先で軽く円を描くようにマッサージしながら顔中に塗り広げていきます。途中でオイルがなくなったら足してください。

順番としては、中央から左右へ、上から下へとマッサージしていくのが基本です。額からこめかみへ。こめかみの下へ。頬骨の後ろを通って顎の後ろ、下。そして首筋へ、リンパ液を押し流していくイメージでマッサージしていきます。決して強くこすらず、優しく揉むようにしましょう。

仕上げは首筋から鎖骨の下へリンパ液を送り込んでしまいましょう。こうすると首から上の古いリンパ液が体深部に送られ、フェイスラインがすっきりとシャープな小顔の印象になります(かなり劇的な効果です。お風呂あがりのお顔をぜひ確認してみてください。ビフォーアフターの違いがハッキリわかると思います。もちろん個人差はあり、やればやるほど小顔になるというわけではありません。適度なマッサージが大切です)

実際、人体のリンパ液というのは背中側を通って頭まで昇り、体の全面を頭から足の裏へと循環していきます。リンパ液は血液と違って心臓というポンプに頼らず、体の動きによって少しずつ循環します(逆流しないようにリンパ管には逆流防止弁がついています)。だから運動不足、特に歩行不足はむくみや体調不良の原因になるといわれます。

このリンパの流れを助けてあげようというのがリンパマッサージ。指のすべりを良くしてお肌を傷めないためにオイルをつかうというわけです。

リンパマッサージは美肌、小顔、顔のシワ・たるみ・皮膚の垂れの予防回復効果が期待できるとのこと。美肌だけでなくアンチエイジングにも有効とされています。男性も、美肌に興味はなくても「何歳になっても精悍で若々しい顔」に関心のない方は少ないのでは?

お金も時間もそれほどかかりませんし、使い終わったオイルは石けんやクレンジング、泡ソープなどで簡単に落とせます。万一、多少肌にオイルが残っても健康に害はありません。タオルで拭き取ればベタつきもなく保湿効果が期待できます。

 

ただし! ひとつだけ注意したいのが髪の毛へのオイルの付着です。世間にはヘッドスパがあるように、本当は頭皮もマッサージしたほうがいいのですが、オリーブオイルが髪につくとシナシナになってなかなか元に戻りません。(私の父などは頭髪がなくスキンヘッドにしているため平気で頭までマッサージしているようですが)

ではでは皆様、ぜひお試しのほどを!

 

※当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しています。統一性のなさはご容赦ください。

※当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。ブログ内容のエビデンスもとっていません。「ちょっと詳しい素人」程度の発言だと思ってお読みください。

ご意見・ご要望は kyougikai.info@gmail.com まで。時間の許す限りお返事いたします!