もう一回、「大掃除」の話。

※コメントはスパム対策のため受け付けておりません。

ご意見・ご感想・ご要望はkyougikai.info@gmail.comまで。

-------------------------------

今日は大掃除の話を書こうと思っていたら、おや、もうすでに「昨日の私」が書いていたのですね。

まぁいいや。どうしても大掃除のことを書きたいので(他にネタがない)二日続けて同じテーマにお付き合いください。

掃除というのは結構な労力を費やす割に報われない仕事です。

掃除をした本人は「ああ、大変だった! しかし苦労の甲斐あって、見違えるほどに美しくなった!!」とささやかな自己満足に浸ります。

しかし、他の人がそれを見て「わぁ! 見違えるようにキレイになったね!! さぞや大変だったでしょう!!」と感動して褒めてくれることは滅多にありません。

家にせよ職場にせよ、新築の頃は当然ピカピカしていて美しいものです。それが経年によってだんだん汚れてくると「汚いなあ」とは感じます。

ところが、掃除によってある程度美観を回復した程度では人は感動してくれません。チラッと一瞥して(ああ、掃除をしたのだな)と軽く受け流す程度で、ほとんどの人は気にもとめないでしょう。下手をすると掃除をしたこと自体に気づかないかもしれません。

大掃除をした本人は「大変だったな。でもその甲斐があった。みんな喜んでくれるだろう」と思っていても、掃除が終わった瞬間その美しさは当たり前のものになってしまうのです。

これは掃除だけに限った話ではありません。電気、水道、ガス。そして街を歩けば毎日営業しているお店。家庭に配達される郵便、宅配便、そして新聞。

それが当たり前の毎日。「欠かせないものではあるけれど、誰かがそれを守っている。私たちの社会や生活は誰かの汗によって支えられている」ということを人は忘れがちです。(これは自戒の念も込めて書いています)。

そういえば、小金原のいちょう通りのイチョウも完全に散ってしまいましたね。けやき通りも21世紀の森と広場、東善寺あたりの紅葉もずいぶん寂しくなりました。

しかし、道を埋め尽くすほど大量にあったはずの落ち葉はいったい誰が片付けたのでしょう?

「当たり前のことが当たり前に在る」ということは、とても有り難いこと。

いよいよ年の瀬、そしてまもなく新年です。こういう節目の時期に改めて「ふだんの当たり前を維持してくれる多くの人々」について思いを馳せたり、感謝したりする時間を持ってもいいのではないでしょうか。

-------------------------------

※当ブログは複数の執筆者が日替わり(順不同)で担当しています。統一性のなさはご勘弁願います。

※当ブログの執筆者は「その道の専門家」ではありません。ブログ内容のエビデンスも取っていません。「素人がちょっと聞きかじった程度の話」とご笑覧ください。