3月13日 えらいことになりました

世界株安、学校は一斉に休校、春の選抜高校野球や各種イベントは中止、TDLは暫く閉園、プロ野球、MLB、NBAは開幕延期、大相撲は無観客試合、まあ今まで見たことも聞いたこともないような出来事ばかりです。私株はしていないのでリーマンショックも今回も縁はありませんがそれ以外は相当強烈です。時々昼飯を食べる公園は平日でも子供を連れてきた自動車で一杯。お客さんが一人もいない大相撲は且つて見たことがありません。WHOがとうとう「パンデミック」とみなせると表明。オリンピック開催もトランプ大統領から延期のアイデアが出たりしていますがどうなることでしょう。コロナに因る経済的損失は100兆円とも。子供を保育園に預けているお母さんはどうしているのでしょうか。不況の為解雇された人も大勢いるようですし実質経済も大変なことになっています。何とかこれ以上の蔓延を食い止め早く日常生活が取り戻せる日を心待ちにしています。

3月12日 ハクモクレン

ハクモクレンが満開です。私はこの時期営業で回る区域内で咲くハクモクレンを見つけていますが一つは松戸新東京病院の入り口ともう一つは柏光ヶ丘団地の植栽です。勿論きれいで香りがいい花ですからあちこちの庭にも植わっていますがご紹介した2か所のは本当に見事です。どちらももう満開を過ぎ根元に花びらが散り始めています。新東京病院のは本道から少しだけ外れていますが遠くからでも目立ちます。光が丘のは大きな道沿いでとても立派です。この「ハクモクレン」とそっくりなのが歌でおなじみの「コブシ」ですね。ただその気になってみればハクモクレンの方が花弁が分厚く大きくみんな上を向いて咲いているので見分けは出来ます。ハクモクレンは上海市の市花で中国では高貴な花として愛でられているようですが私も樹高が高く枝が広がり真っ白い大きな花を付けるこの花は春の代表選手の一つだと思います。開花時期が短いので見逃してしまいがちですがこの花にご注目を。

3月11日 東日本大震災

もう9年になります。まだ9年しかたっていません。3時過ぎに妻から隣接する習志野市の防災無線で「黙とう」の呼びかけがあったとのラインが入りました。2011年2時46分私は初めてあんな大きな地震に会いました。現地から流れてくる報道はとても正視できませんでした。生活を破壊し多くの人命を奪った東日本大地震。生き残った人々に語り掛ける言葉を私は知りません。詩人和合亮一氏は「「廃炉まで四十年」(現時点) ところでわたしの言葉の 原子炉を廃炉にするには 何年かかる のだろう この地球を この虹を この雲を この指先の棘を 廃炉にするには どれくらいか エネルギーのささやきを耳にしながら惑うばかりだ ああ 今日の言葉を廃炉にするには 何十年かかるのだろうか、、、、」の詩を朗読した。詩人は言葉を紡げるが私にはただ祈るしかありません。亡くなった方々には「どうか生者に慈悲を」とそして生者には「亡くなった人の慈悲に応えよう」と。

3月10日 東京大空襲

1945年3月10日夜中、ほんの2時間ほどの空襲で10万人以上の犠牲者が出、東京は焼け野原になった。そして全国の都市がこれでもかというほど焼き尽くされ破壊されてしまった。当時アメリカ軍はいかに効率的に日本の戦意を削ぐかということを熱心に研究していたようで大規模なシミュレーション、実験をしたうえでの行動だったようだ。戦争なのでどうしたら勝てるのかを研究するのは当たり前のことだからそこに言及するつもりはありませんがそれにしてもアメリカ軍のやり方は徹底的で凄まじかった。あれから75年。今やその時の傷跡は勿論実際の経験者もほとんどいなくなってしまった。嫌なことは忘れてしまいたいのが人間の習い性。まして「水に流す」風土、日本ではありますが「アメリカ憎し」ではなくかつてこんな恐ろしい出来事があったのだということは決して忘れてはいけないと思います。沢山の尊い犠牲の上に今を生きている私たちなのですから。

3月9日 山男便り

先日学生時代山男で鳴らした前職時代の先輩から長崎大学学士山岳会の会報が届きました。私は大学も違えば山岳部でもないのですがこの会報を楽しみにしています。年の差はあれ同じ学校で同じように山を目指していた昔の若者達の話しはとても面白く読めます。この先輩の文章に「長野県山岳遭難防止対策協会」の「山登り10訓」というのがありましたので紹介します。1.命の道しるべ登山計画書は家族に託すメッセージ2.登りたい山より登れる山 自分に見合った山選び3.体力・装備・知識の総合力で頂き目指す 登る前から体調管理4.山のマナーは命のマナー あいさつ交わし情報交換5.年齢考えひかえめ登山 過去の体力過去のもの6.ヘルメット 命を守る必需品頭部の事故が命取り7.山の天気は生死を分ける 天気予報は命のお守り8.山頂は通過点 下山道こそ細心注意9.登山はスポーツ 観光気分が遭難招く10.もしもに備える山岳保険 納得集。

3月6日 少し冷静に!

新形肺炎「コロナ」が世界中に拡散し大変な事態になってきました。日本も学校一斉休校、イベント中止、プロ野球オープン戦は無観客で実施、大相撲、春の高校野球も無観客での実施予定などクラスターを避けるためあらゆる人の集まることを取りやめています。またこんなことに便乗してありもしないデマを発信しトイレットペーパー、キッチンペーパーなどがスーパーの棚からなくなりマスクはとんでもない高額価格でネットで売られているとの報道もあります。「トイレットペーパー」というとオイルショックの時の騒動を思い出しますが全く同じ状況になってしまいました。実際店頭にはないのですから「大丈夫です」といっても早朝から並んでいる人が沢山います。シングルマザーに限らず共働き家庭など子供を預けるところがないあるいは仕事がないなど酷いことになっています。病気そのものの死亡率は非常に低いので少し冷静になって手洗い、マスク、混雑場所を避けるなどの対処をしていきましょう。

3月5日 沈丁花

沈丁花がようやく香り始めました。この花は花びらが開かないと香りが出ないのですね。随分前から菊の花弁のように湾曲してもう少し立体的な花が沢山付き始めていたので傍を通るたびに鼻を近づけていたのですが反応なしということで「ようやく」の気分です。香木の沈香や丁子の香りがするのでこの名が付いたと聞きますが私は沈香の香は知りません。丁子は料理にちょっとアクセントを付けたい時に使う「クローブ」なので知っているのですが。これはパパカレーの必需品です。確かに甘い香りなのですが沈丁花の様に痺れる、脳髄を刺激するものではないので沈香のほうにその系統があるのでしょうか。それにしても私は春の宵遠くからでも分かるこの香りをかぐと非常に危険な状態になります。鼻から吸い込まれた香りが脳まで来たとき月夜のオオカミではありませんが「ガォー」と叫びたくなります。傍に女房以外の女性がいないことを祈るばかりです。

3月4日 義父の様子

ここ一週間ほど妻が里帰りしていました。勿論お産ではありませんで博多に住む義父の様態を見に行きました。彼はもう94,5歳で奥さんに先立たれ一人暮らしです。年相応のボケ加減で特に酷い病気もないようですが肺機能が弱っており時々器械のお世話になるとのこと。幸い病院付きの介護施設に入れたのでこれを機会にお見舞いに行ってこようということになりました。ただ直前の話しでは「コロナ」の為面会できないかもとの情報がありホテル付の往復飛行機割引にしているのでもうキャンセル出来ないし困ったなアといっていました。大昔の友達でも呼び出して女子会でもしたらなどと気楽なことを助言(?)していたのですが幸い昨日のラインでは何とか会うことができたと入っていました。帰ってからゆっくり話は聞きますが一人で暮らしている高齢の父親ということで妻も心配のようです。万が一の際は傍にいても必ずしも会えるとは限らないがやはり遠いので。

3月3日 新聞折込業界

昨日の朝、当協議会の物流、商流を担っている代理店から事務所移転の連絡が入りました。移った場所は旧住所からそんなに離れていない系列店の2Fということでした。また倉庫ももう少し狭いものを探しているのだとか。新聞折込の業界はこのところあまり景気が良くありません。まず新聞の読者が大幅に減ったことさらに新聞折込もこの15年間で6割くらいになってしまいダブルパンチを受けているんだとか。これが影響しての引っ越しなのかはしりませんが責任者と顔があったら「儲けが悪いので狭いところに引っ越したよ!」といっていました。冗談とも思えない様子でしたのでへらへら笑って返しましたが。アメリカではWebの成長により紙の媒体がもろ影響を受けており特に地方紙が軒並み倒産あるいは事業縮小しているとのこと。日本はまだ家庭への宅配があるのでアメリカほどではないのでしょうが決して他人事ではなく経営状態はどこも厳しいようです。

3月2日 十五代樂吉左衛門

先月29日で日経私の履歴書「樂直入」が終わりました。今回の内容は本当に素晴らしかった。十五代樂吉右衛門がその伝統に抗いながら樂家の陶芸家、芸術家として生きることに悩み、苦しみ、彷徨い、葛藤しそして今次世代に引き継いだその歴史。最終回彼は「あなたの宝物は」の問いには「人との出会い」「あなたの誇りは」に「独立自尊を貫いた祖先の歩みと樂焼きの伝統」と答える。そこには多くの葛藤もあるが、受け継ぐものにしか分からなぬ。甘んじて孤独であると。「愛するものは?」「家族です」と。彼の次男が小さい頃「お兄ちゃんが家を継いだら僕の名前は変わるの」と妻に尋ねた。直入は妻と話し合い連綿と続いてきた一子相伝、樂の姓を名乗るのは跡継ぎだけで他の男子は養子に行き姓を変えるという事を止めた。制度に守られて継承される伝統にどれほどの意味があるか。私達はこどもたちが自らの力で精神の自立を果たし、人生を戦い抜いて欲しいと思ったと。最後に信じる大切な思いはの問いに「命の循環と答えよう」と。