3月11日 東京大空襲

昨日3月10日は76年前にアメリカ軍による東京大空襲があった日です。報道によるとこの日を忘れないための活動を長年続けている海老名香葉子さんにアメリカ大使館のヤング臨時代理大使からメッセージが届いたということです。内容は第二次大戦で亡くなられた方に対する追悼の言葉で私信とはいえアメリカからこのような手紙が届くのは珍しいようです。海老名さんは一世を風靡した林家三平さんの奥様になった方で12歳の時に空襲で一家6人を失い学校にもほとんど行けず孤児となり食うや食わずの生活の中で成長したと伝え聞きます。後年海老名さんは東京大空襲の追悼活動を今に至るまで続けています。いくら戦争中とはいえ日本に厭戦気分を起こすのには十分過ぎる徹底した空襲の事は忘れてはいけないと思います。しかしそれまでアメリカを憎んでいた彼女は真珠湾を見て被害者も加害者も苦しんでいる戦争の悲惨さを訴え始めるようになったとも。重い言葉です。

3月10日 東京大空襲

1945年3月10日夜中、ほんの2時間ほどの空襲で10万人以上の犠牲者が出、東京は焼け野原になった。そして全国の都市がこれでもかというほど焼き尽くされ破壊されてしまった。当時アメリカ軍はいかに効率的に日本の戦意を削ぐかということを熱心に研究していたようで大規模なシミュレーション、実験をしたうえでの行動だったようだ。戦争なのでどうしたら勝てるのかを研究するのは当たり前のことだからそこに言及するつもりはありませんがそれにしてもアメリカ軍のやり方は徹底的で凄まじかった。あれから75年。今やその時の傷跡は勿論実際の経験者もほとんどいなくなってしまった。嫌なことは忘れてしまいたいのが人間の習い性。まして「水に流す」風土、日本ではありますが「アメリカ憎し」ではなくかつてこんな恐ろしい出来事があったのだということは決して忘れてはいけないと思います。沢山の尊い犠牲の上に今を生きている私たちなのですから。

3月9日 営業担当者の雑記

73年前の今日夜中から東京大空襲が始まりました。日経「私の履歴書」掲載中の山折哲雄もその惨状に触れられていますがこれが始まった経緯、実施方法などを見聞きするにつけ何と悲惨な、無慈悲な、徹底的な大量殺戮だったのだろうと思います。「日本軍の戦意を削ぐため」というお題目があったようですが真夜中、住民が逃げられないように外側から焼き一挙に夥しい数の焼夷弾を落とし東京を焼き尽くし10万人近い人々を殺戮した。木造建ての日本建築を如何に効果的に破壊するか、どうしたら住民に多くの被害を与えることが出来るのか等綿密にシミュレーションした上での実行。一説によると当時はまだ脚光を浴びていなかった米空軍を認めさせるための行動という話もあるようだが、その目的は恐ろしい程に達せられ東京は焦土と化した。そしてその責任者は後日本国から立派な勲章を貰ったとか。名古屋、福岡を始め日本の主だった都市への空襲が始まった日です。