4月10日 営業担当者の雑記

サブー!!昨晩のニュースが今日は冬に逆戻りするので今あるもので一番暖かい服装にしてくださいとおっしゃる。早速薄いコートに外していた裏地をつけ、セータを取り出し、マフラーも引っ張り出し、手袋も探してきて準備OKということで出勤。寒いだけじゃなく冷たい雨も降っています。会社に着く頃は靴がビショビショ。よく見ると靴の底が随分薄くなっており雨が浸み込んでいます。会社に着いたらすぐストーブに切れていた灯油を補充し靴を脱ぎ乾かし濡れた足を広げた新聞紙の上でトントンして水気を取ります。部屋はすぐ暖かくなりましたが足はなかなか戻りません。今日は事務仕事が多かったのでほぼ終日ストーブの前。というわけで急な冷え込みにてんてこ舞いの一日でした。明日には少し暖かくなってほしいなア。

4月9日 営業担当者の雑記

昨日テレビを見ていたら渋谷のスクランブル交差点に人が寝た状態のベッドを運び込んだという動画を紹介していましたが、その後名古屋の地下鉄での「困ったさん」の出来事を報じていました。渋谷のは例によって若者が動画の視聴回数を稼ぐためにやったようですが名古屋のはかなりの年配者が地下鉄のドアが閉まりかけたらビニール袋や手を挟みドアが閉まらないようにしています。駅員が制止しても繰り返しそのうち足まで挟んでいました。実はこれも誰かが一部始終動画で撮影していたのをテレビが報道したようです。いたずらにしては執拗ですしそもそも分別盛りを何回も越えているような人がなんでこんなことをするのか皆目分かりません。評論家風に言うとストレスが溜まり社会に対しうっ憤を晴らしたのか?等というのかもしれませんが「ただのアホ」ですね。1,2分だったとのことで電車遅延の弁償を求められたのかどうかは知りませんが困った人です。

4月8日 営業担当者の雑記

今朝出勤時に雨が降っており昼間は上がっていたのがまた夕方結構激しく降り出した。気温も相当低く感じます。先週で桜の話題は終わったつもりなんですが今日この寒さの中まだ花を残しているのを見るとなんだか「志と違う」と言っているように見えました。勿論パッと咲きパッチ散る、潔い、花は桜木人は武士、、などなど何となく桜はある種のイメージをもって語られますが花はそんなことを知る由もなし。気温が低いので長持ちしているだけではありますが華やかだけに少しわびしい感もあります。若いころ美貌で鳴らした女優が年を経てその美しさを保てずさりとて素直には老いることもできず、それでも美しいには違いないのだがかつての華やかさを思うと寂しい といったところでしょうか。女優の中には80歳を超えても若々しく美しいだけでなく年輪を刻んだ人生の重みを感じる人がいます。いつまでも若くいたいと思いますがそれ以上に上手に年を取りたいものです。

4月5日 営業担当者の雑記

今日は月に一度の会議ということで資料作り、会議と外には昼食以外出ませんでしたが天気も良く暖かで花も何とか週末まで持ちそうです。西行桜最終回。「散る花を惜しむ心やとどまりてまた来ん春のたねになるべき」今年も充分に桜を満喫した筈だがいざ花の散ってしまうのを見ると穏やかではいられない。来年も再来年も生きている限りずっと桜を愛で続けていたい。今年の花は散ってしまうが花を惜しむ心は桜の樹の中に留まって次の年にはまた思い切り花を楽しみたいものだとでもいう歌なのでしょうか。西行の花の歌はとてもたくさんありますが今回は私が好きな、分かりやすい、想像を膨らませやすいそんなことを念頭に5首を勝手に選んでみました。23歳での出家後は終生旅を続け思うままに詠んだ歌は心に残るものが多く特に桜への思い入れは並外れており新鮮で大胆な表現は当時の歌人の中でも際立っているように思います。皆様も是非一度味わってみては。

4月4日 営業担当者の雑記

今日は午前中いっぱいをかけてデータを纏め午後から外に出ました。春のうらら、上着は要らず、いうところの「ド快晴」。「桜通り」「八柱霊園」どちらにもまだしっかり花は残っています。時に寒い日があったので長持ちしているのでしょうか。さて今日は「西行桜⓸」「春ふかみ枝もゆるがで散る花は風のとがにはあらぬなるべし」。満開から少し日が経とうとしているちょうど今くらいの時期なのでしょうか。枝に溢れんばかりの花は何かの拍子でハラハラとこぼれている。風が枝を揺らしているのではなさそうだし「触れなば落ちん状態」になってしまったのだなア。まだ花はしっかり残ってはいるのだが早くも終盤に近付いてきてしまった。誰に文句を言うでもなく自然の摂理なのだろうがそれでもなんだかさみしくなってきたなア。満開の時期に、すでに花の終わりを思いなんともさみしい気持ちが感じられます。この後幾日花を楽しむことができるのだろうか。

4月3日 営業担当者の雑記

ここ2,3日気温が低く花も少し長持ちしそうですがそれでも満開の桜は少しの風で散ってしまいます。西行桜3首目。「春風の花をちらすと見る夢は覚めても胸のさわぐなりけり」この歌もすっと心に入る歌です。花のことで身も心も一杯になり居ても立っても居られない。一日中桜のことが思われ心が浮ついている。今朝も満開の花を春風が散らしてしまった夢を見た。目が覚め夢だったので一安心したもののいまだに胸がドキドキしている。満開の花をいつまでも楽しんでいたいのに何と無粋な風なんだろうと夢の中の風に八つ当たりしてしまいそうだとでもいうのでしょうか。こんなにも花に没入し身も心も腑抜けになってしまうのですね。無風流な私には時に「西行さん少しおかしいのではないかしら」、「いくらなんでも入れ込みすぎだろう」などと思ったりもしますが、これほどまでに「大好きさ」を正面切って惚気られるとかえってある種の爽快さを感じます。

4月2日 営業担当者の雑記

昨日新元号が発表されました。万葉集の一節「初春令月 気淑風和」から採った「令和」ということで大変雅な名称で結構ですね。私はというと前職時代から自分の記憶を全部西暦に直しているので今回のことであまり変化はありません。新元号が梅の花ではありますが昨日に続き西行の桜歌2⃣.「おしなべて花の盛りになりにけり山の端ごとにかかる白雲」これはもう何の説明も要らないひたすら桜を愛でている歌です。山々はすっかり桜に覆われてまるで白い雲がかかっているように見えるというのです。当時の桜は勿論染井吉野ではなく山桜ですので樹高が高く大きく枝を張り、色も白一辺倒ではなくぼかしがかかったようになっていたことでしょうからその絢爛豪華さは目を奪うばかりだったと思われます。「御裳濯河歌合」で選者の藤原俊成が賞賛したと伝わっていますが俊成ならずともこの艶やかな光景が目に浮かぶ西行の自信作なのではないでしょうか。

4月1日 営業担当者の雑記

松戸の桜は満開からぼちぼち後半戦のようです。風が吹くと花吹雪となりその下を通るのは何とも豪勢です。いつの時代ににもどんなところにも「花狂い」はきっといるのでしょう。私はそこまでの熱心さはありませんがそれでもこの時期車で行ける範囲の桜を訪れています。平安末期に「西行」という風流なお坊さんがいてが桜への並々ならぬ思いを込めた歌がたくさん残っています。今週は彼の思いの一端をご紹介したいと思います。まず「花見にと群れつつ人のくるのみぞあたら桜の科にはありける」西行が一人桜を楽しんでいたら止めていたのに近所の人達が見物に来たのでしょうがなく招き入れた時のもので、一人でのんびり楽しみたかった西行が「美しすぎるお前が悪いのだと」愚痴ったのに対し桜の精がそれを諫めた。西行がまどろみから覚めると相変わらず桜は見事にその姿を見せているといった内容で「西行桜」という彼に纏わる能の代表作の一つにもなっています。

3月29日 営業担当者の雑記

昨晩のニュースで全国に先駆け東京の桜が満開になったと報じていましたが、今日は松戸でも営業車からみる花どころは満開でした。仕事で新京成常盤平駅から五香駅にかけての桜通り、八柱霊園の南側の桜並木を通ったのですがどちらも満開でした。桜通りは八重が多いのか少し色が濃く葉が出ているのもあります。八柱霊園の方は染井でこのところ病害で随分切られていますがそれでも空一杯に広がる薄ピンクは何とも贅沢な通り抜けです。ただ今日は曇り空で気温もかなり低く花見にはちょっと無理があるなという感じです。それにしても桜通りのお祭りは来週の土日ですのであと一週間は持たないのでは?確か去年も桜祭りのときにはすっかり花は散っていたように覚えています。まあ花見だけが目的でない酔客も出店が楽しみな子供たちも満開でなくとも楽しめるのでしょうが。私は関東近辺の枝垂れ桜を中心に飛び回るつもりですがこの週末はお天気が心配です。

3月28日 営業担当者の雑記

今日の日経夕刊「プロムナード」は河合香織さん執筆の「人生の不可解さ」と題した話。母親から「あなたと一緒に死んでしまいたいと思い悩んだことがあったのよ」と言われたことがあると始まり、先日会った実際に母親に殺されかけたという脳性麻痺の女性の話しを語る。彼女の母親は無力な子だから生きるのは不憫だと思い手をかけたのだがその後の人生はまるで反対。母親は70歳で交通事故にあい寝たきりになり、パーキンソン病になった父親に代わって車椅子生活暮らしの彼女が引き取り生活の世話をした。自分で身の回りのことを出来ないなんてもう終わりだと「うつ病」になった母親に障害者として生きる術を教えた。障害者との結婚に反対し続けた義父も脳梗塞で倒れ彼女が電動椅子の乗り方を教えた。女性の語り口に悲壮感はなく怒ってもいず愉快そうに笑いながら話した。人生というものの不可解さを面白がっているようだった。その夜のビールは酔えなかった と。