2月28日 営業担当者の雑記

2月最終日。今日は久しぶりに朝からまとまった雨が降っています。暫らくぶりなので植物は一息ついていることでしょう。春の今時分は日によってあるいは朝晩の寒暖の差があり体調を整えるのが大変な時期ですね。もう花粉が出始めたようで私も鼻水とくしゃみが大分酷くなってきました。今年は例年より花粉が多いとの予報ですので少々心配です。植物は自分たちの生き残りのために精一杯子孫をばら撒いているだけなのですが、人は自分たちが作り出した化学物質と混ざりあった花粉の為体に悪影響が出るようになってしまいました。自業自得だともいえないほど花粉症は蔓延しています。花粉症は人間だけの症状なのでしょうか?どこだかで猿が酷く患い鼻がズルズルになっているのを見たことがありますが猿にしてみればえらい迷惑な話ですね。人間のように早くから薬を飲んで対応することもないのでシーズン中ずっと苦しむのもいるのでしょうね。同情します。

2月27日 営業担当者の雑記

今日も会社の駐車場で見かけたのですが、背中の羽がやや長く全体的に灰色がかり体を左右に振って歩く体長20cmくらいの鳥がいます。家のそばでもこの時期よく見かけるので何という名前だろうと思っていたのですが「シロセキレイ」なんですね。もともとは冬鳥だったのが環境への順応性が高く今では都会に住み着きすっかりシティーボーイ(ガール)になったようです。この鳥、背中の羽が燕尾服のようで色も落ち着いておりスマートな印象を受けるのですが歩く姿は本当に愛らしいというか赤ちゃんのヨチヨチ歩きですし飛び方も地面すれすれをひょこひょこ鈍くさいので車を運転していてもぶつかるのではないかと心配になります。私の勝手なイメージはやや細方の筋肉質だったのですがそばで見ると少しおデブちゃんなんですね。それで動作が鈍いのでしょうがあんな歩き方、飛び方でよく野良猫に襲われたりいたずらカラスに突かれたりしないものですね。

2月26日 営業担当者の雑記

2月24日号の「松戸よみうり」に新松戸「北限ぎりぎりレモン」と題して松戸産のレモンを紹介していました。記事によると松戸は梨や矢切ねぎだけではなくレモンも産するのだというのです。レモンはもともと瀬戸内海などの温暖な地が収穫されるのですが松戸北部の新松戸で農業を営んでいる鵜殿さんが、住宅地の中に点在している農場で「瀬戸内レモン」に対し「ぎりぎりレモン」と称しレモンを育てている、つまり松戸はレモン産地としては北限だというのです。地球温暖化の影響もあるようですが住宅街の暖かさを利用し試行錯誤の末出荷を始めて4年で今年は3トンを出荷したとのこと。本格的に収穫出来るようになるには10年かかる由。このレモンは勿論カビ剤、ワックスなしということで今年はもう完売なんだとか。昨年9月に新松戸駅前に「MONPE」という柑橘直売所もオープンさせたとのことで「ぎりぎりレモン」が全国区になればいいですね。

2月25日 営業担当者の雑記

まあ今日は暖かい一日でした。20度近くあったのでは?この陽気で最寄駅から会社にくる途中の梅が一斉に咲き始めました。今までまったく気が付かなかったところに枝垂れ梅が咲いてるのを発見したしお待ちかねの梅林もようやく7・8分になりました。真っ青な空ということはなかったのですがそれでも枝からこぼれる様に咲いている花はやっぱり「春」です。巷間白梅が先か紅梅が先かなどと話題になりますが種類によってその咲く時期は随分違うので一概にはいえないのでしょう。以前熱海のMOA美術館で尾形光琳の「紅梅白梅屏風」を見たことがありますが両方がそろって咲いているのはそれはそれは見事なものですね。さすがにあの絵のように大胆で豪華で煌びやかでそれでいて老成した「樹」は光琳の頭の中で咲いていたのでしょうが、梅の木に目立つ薄青色の「ウメノキゴケ」が一種梅に風格を与えているように見えます。これから暫く通勤が楽しみです。

2月22日 営業担当者の雑記

ようやく梅が見ごろになってきました。そして夜帰宅途中であちこちの庭からいい香りが漂ってきます。梅の匂いは不思議(もしかしら花はみんなそうなのかもしれませんが)で夜の方が圧倒的に香ります。藤原定家の歌に「大空は梅のにほいにかすみつつ曇りも果てぬ春の夜の月」というのがありますが平安貴族もやはり夜の梅の香を喜んだようです。「曇りも果てぬ」という表現は大江千里の「照りもせず曇りも果てぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき」に出てくるもので当時は盛んに使われた言い回しなんだというのは私の好きな長谷川櫂氏の受け売りですが、梅の香りが辺り一面にまるで霞に覆われたように広がっている風情がまさにこの表現であらわされているのだと改めて平安歌人の言葉に対する繊細さに敬服しました。昨日は多分16夜だったと思いますがスーパームーンの名残かまだまん丸いそして少し赤い月と梅の香りに帰り着くまでほろ酔い気分でした。

2月21日 営業担当者の雑記

昨日の新聞に全国高野連は新潟の高野連が発表した1試合ピッチャー100球宣言に待ったをかけたと報じていました。理由は全国一律にしたいので先走るな。それでなくとも部員数が減っているので球数制限をすると部員が多いところが圧倒的に有利になってします。言っている内容はよくわかるのでこれから各界の人たちを集めて検討するというものでした。この新潟の提案に私は大賛成です。育ち盛りの選手たちが無理をして肘や肩を痛め大好きな野球を断念せざるを得なくなった例を沢山見聞きします。選手は人生の唯一の目標のように甲子園出場に憧れ無理をしてケガしてもそれを訴えないこともあると聞きます。人並外れた体力の選手達ばかりではないのですからまだ体が一人前になっていない子供達には指導者にすべてを任せるのではなく最初から100球制限のルールを作る方が彼等の健康を考えるといいと思います。大好きな野球をいつまでも続けられるように。

2月20日 営業担当者の雑記

先日トランプ大統領を我が国首相がノーベル賞に推薦したのでは?と報じられていました。総理は肯定も否定もしなかったようですがもし本当なら「おもしろい話です」アメリカファーストを掲げ他国とはまるでポーカーを楽しむように「ディール」し経済戦争を始め、まだ不安定な中東から軍隊を引き揚げ、ほとんど進展していない北朝鮮の核削減を自賛し、国境に大きな壁を作るという公約の為には政府を閉鎖し続ける彼こそはノーベル賞にふさわしいということなのでしょうか。かつて我が国の首相が「非核3原則」というどう考えてもあり得ないスローガン(まさにスローガン以外の何ものでもなく米軍部隊が核を持ち込んでいたのは周知の事実)により平和賞を受賞した実績もありますのでそれと同じくらい「面白い話」なのですが。ある新聞は「そこまでお追従を?」などと書いていましたが、「お友達」から経済戦争で押し切られることのないようにお願いします。

2月19日 営業担当者の雑記

最近飲食店やコンビニのアルバイト店員が「悪ふざけ」をする動画をSNSに投稿する事件が報じられています。そのたびに企業が謝罪し時には株価が下落したなどとも伝わっています。これはもう「悪ふざけ」ではなく犯罪です。そのSNSを見た人たちが拡散するようですがそれもほとんど同罪だと思います。何のためにこんなことをするのか見当がつきません。店や人を陥れて何が面白いのでしょう。まったく罪もない店や人がその行為によりとんでもない痛手を受けるのは子供でも分かるはずですが。どこかの評論家が「誰しもそんなことをする可能性があるのだから他人事ではない」といったとか。知識人なのか業界人なのかはたまた何かというとコメントをする輩なのか知りませんが何を言ってるのだろうと思います。大体クレームに対し直ぐに謝る企業体質が好きではありませんが被害企業は被害届を出し賠償請求も考えるなどの防衛策を講じるべきです。

2月18日 営業担当者の雑記

今日は2月最後の受注日。(社)松戸新聞販売協議会のポスティングは月曜日午前中に受注締め、翌火曜日午前中までにチラシ&代金受け取りで当週の原則木・金配布という流れになっています。且つ最終週の金曜日が3月1日ということで当月実績にはならないので今日が最終ということになります。まだ私の手元には最終集計が来ていませんが何とか前年を超えたいものです。昨年は後半に集中した数字になっており今年は昨年の実績を追いかけていては年間では間に合いません。年間の販売予定は昨年実績だけを追いかけていては非常にいびつになるので数年間の傾向を見ながら作っており毎月の数字に一喜一憂しないようにしています。今年の例でいうと少々1月ー6月の前年比が良くても年間では厳しいことは私が一番わかっています。前半で相当積み上げておかないと厳しいことになってしまいます。ということで明日出てくる数字が楽しみになるのか悲しみになるのか。

2月15日 営業担当者の雑記

明日は亡き母の13回忌をします。子供たちも久しぶりに集まっての法要です。早いものです。「もういちど生まれかはってわが母にあたま撫でられて大きくなりたし:前田佐美雄」という歌があります。小さいころから初めての子供ということで本当に可愛がられ過ぎて育ちました。思春期にはそれがいやですっかり口を利かなくなってしまい学生時代にも就職してからもとんとご無沙汰でした。年を取り母が心臓病で入院しそれがもとで少しづつ痴呆症が出てきました。それでも私がお見舞いに行くと気が付き大層喜んでくれました。亡くなった時も虫のしらせか枕元でこと切れるまで見守ることができました。誰しも親はいますそして多分親たちは自分のことはさておき子供に尽くします。少なくとも私の両親はそうでした。いつも感謝していたのですが面と向かって「ありがとう」とはとうとう言えませんでした。あした家族全員が元気で暮らしていることを報告します。