1月22日 新型肺炎拡大

中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる肺炎が国外にも広まりつつあります。中国の国営中央テレビによると中国本土の患者数は22日午前中時点で323人死者6人。国外では日本、韓国、タイ、台湾と21日にはアメリカでも患者が確認されたとのこと。患者はいずれも武漢に滞在しており24日から始まる春節による人々の国内外大移動で感染拡大が警戒されています。このウイルスは当初人から人へは感染しないとのことだったがWHOの西太平洋地域事務局は「新たな感染の報告例から、持続的な人から人への感染が起きている可能性がある」として緊急会議を開き「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に相当するかどうかの検討、感染拡大を防ぐ方策などを協議する予定とのこと。これへの対策は風邪と同じで手洗いの励行、人混みの中でのマスクの着用等とのこと。これ以上の蔓延を阻止し国外からの侵入も何とか水際で食い止めて頂きたいものです。

1月21日 蝋梅

このところ夜帰宅途中によそ様のお庭からとてもいい香りが漂ってきます。蝋梅の季節になりました。というわけで先週群馬県安中市の「ろうばいの里」に行ってきました。昨年は神奈川県足柄上郡松田町に浮気しましたがここ数年ほぼ毎年この時期に安中に言っています。天気が悪かったせいでいつもだと近所の小学校のグランドが駐車場ですが園のすぐそばまで行け人も少なく花も8分咲きくらいで結構でした。私が毎年楽しみにしているのは姿かたちもさることながらその香りです。近所だと夜しか香らないのにここだと何ともふくよかで上品なそして何万本あっても藤のようには頭が痛くならない優しい匂いに体が包まれる感じです。素心と満月の二種類がありその違いは花弁の形で丸いのが満月やや長いのが素心です。原種もありそれは花芯が赤いものです。蝋梅が山の斜面一面に広がりおいしい空気と共に肺一杯に収めた蝋梅の香りでまた今年も幸せな気分になりました。

1月20日 大相撲初場所

「初場所はきれいどころに目が移り:東秋茄子」ということで大相撲初場所開催中。昼間はテレビを見られないので夜のスポーツ番組で時々勝敗をチェックしています。今場所は横綱二人が休場。前評判が高かった大関貴景勝は1敗と好調、関脇前乃山は8日までに3敗ということで少々期待外れか。女性にやたら人気があるという遠藤の調子がいいようでここまで2敗。小兵力士としてこのところ人気急上昇中の炎鵬は五分の星。この力士一昔前だと検査に通らないんではないかと思うほど小さく168cm、99kg。この小さい力士が時に土俵を飛び回り時に真っ向から相手に挑みあるときは巨漢力士をぶん投げまたある時は土俵際で勝負をひっくりかえすその姿は何とも判官びいきを擽ります。今のところ私のノーマーク力士正代が1敗でトップ。いつも終盤になるとまた白鵬かと思うのだが今場所は誰が優勝するのか分からない大混戦。千秋楽が楽しみです。

1月17日 阪神淡路大震災25年

1995年1月17日火曜日午前5時46分。私は当時千葉に住んでいましたが前職の本社が神戸三宮にあり学生時代、会社の友達も大勢住んでいました。朝のニュースで阪神高速が倒れているのを見て一体何が起きたのか、とんでもないことになっているぞと震えました。本社のビル2階部分が押しつぶされている映像が流されています。早朝なので出勤している人はいないはずだが。友達に電話しても全くつながりません。夜になり連絡が取れた友人の話は信じられないことだらけです。須磨に住む同期の安否確認をするのにバイクで行ったのだが普通なら2,30分もあれば着くところを道中は障害物だらけ緊急車両の為通行禁止などでなんと5,6時間もかかったとか。握り飯を持っていき無事な姿を見た途端お互い泣いてしまった、大の大人がとも。二階に寝ており天井が抜け落ちたが助かったんだと。その後何度も会議で行ったが学生時代に歩き回ったところ、思い出の地は見る影もありませんでした。あれから25年。

1月16日 保田の水仙ロード

先日鋸南町保田の江月水仙ロードに行きました。この地は江戸時代から出荷用の水仙栽培が盛んだったとのことでいくつかの水仙ロードがある観光地です。私はほぼ毎年この時期に行き初春の花と香りを楽しんでいるのですが今年は不作でした。駐車場からゆっくり歩いて1時間ほど丘を登っていくと両側にびっしり数千万本ともいう水仙があるはずなのですが今年はまばらです。普段は風向きにより鼻腔をくすぐる香りもありません。それより昨年の台風の被害の方が目立ちました。いまだに屋根がブルーシートで覆われている家が沢山あり山に入っていくと枝が折れ根こそぎひっくり返っている木々があちこちにあります。山の斜面のどちら側にもそれはありますので海方向から吹いてきた風がこの辺りではいろんな方向に舞ったのでしょう。女房は「年寄りばかりで復旧もままならないのかしら、こんなに酷いと重機だって必要だし、、」と水仙より台風被害のほうが気になる様子でした。

1月15日 桂米團治公演

去る12日に恒例の銀座ブロッサム「桂米團治独演会」に行ってきました。この公演は正月と夏の2回あり私はこれを見ないと新年になりません。米團治は毎回違う弟子を連れており今回は團治郎と吉の丞が一席づつ師匠が3席でした。まずは「軽業」という伊勢参り道中の縁日にでている見世物小屋の様子を正月らしくにぎにぎしく話し次に「一文笛」という米朝が得意にしていたスリの話。掏り仲間の仕事ぶりを自慢・紹介(?)する話です。最後は「池田の猪買い」。ある冷え性の男が大阪北西部の池田に猪の肉を買いに行った時の話。米團治は何しろ声がでかくよく通り(オペラ公演の経験あり)また様子がいいので小米朝といった時代から見ていました。今回はその片鱗だけでしたが芝居噺が得意で所作も実に確かです。かといって芸一筋といった様子はなく若旦那噺も色っぽい擽りもいやらしくなく十分にスケベで大好きな芸人の一人です。だんだん成長して弟子を見るのも楽しみです。

1月14日 名樹散椿

今日八柱霊園の脇を車で通っていると2,30mに亘って塀の上の方から紅い椿が頭を覗かせていました。この時期深い緑の葉と真っ赤な花の対照が鮮やかな椿はとても目立ちます。ふと以前見たことがある速水御舟の「名樹散椿」の絵を思い出しました。この二曲一双の屏風絵は山種美術館が所蔵する重要文化財の一つで展覧会で見てとても気に入り会社の机の上にそのミニチュアを飾っています。京都地蔵院に咲く五色八重散椿がモデルとのことですが実物はもう枯れ今あるのは二代目とのこと。バックの金地に右上から左下にかけて大きな枝がくすんだ緑色の地面にしな垂れかかり赤、白、ピンクなどの花が満開で艶やかに咲いています。そしてそれが数片づつ散っています。一般的な椿は花弁全部が落ちるのですがこの花は山茶花の様に花びらがあちこちに散っています。何とも大胆で鮮やかな色使いはこの樹の圧倒的な存在感をものの見事に表現しています。

1月10日 大根引き

今日二十世紀ガ丘の方に営業に出かけたのですが途中で可愛らしいものに出会いました。二十世紀交差点JAの前にある畑に10人ほどでしょうかオレンジ色の帽子、コートを着た幼稚園児なのか保育園児なのかが集まってキャーキャー言っています。丁度信号待ちだったので見ていると農家のおばさんらしき人(もしかしたら保母さん)が真ん中に居り子供たちが畝の両側で大根を引いています。結構太い大根で当たり前ですが葉っぱも土もついた引き立て大根を手に手に持ち嬌声を挙げているところです。ご多分に漏れず中には大根はさておき追いかけっこをしている子供もいます。お母さんについていったときにスーパーで大根を見ることはあるでしょうが葉が付いた、土がついたのを見ることはまずないでしょうから子供たちがはしゃぐのも分かります。やっぱり子供たちが声を上げ遊んでいる姿はいつみてもこちらの気持ちが暖かくなります。いいものを見ました.

1月9日 ハクセキレイ

このところ会社の駐車場で20cmくらいで頭と背中は黒く翼などは白く尾っぽが長い鳥がちょこちょこ歩き回っています。飛び立っても一直線に上空には向かわず4,5m先に降りまた歩いています。カラスのように大股ではなく本当に小さい子が歩くように小刻みに足を運んで歩きます。調べると「ハクセキレイ」というそうです。止まっているときは姿勢もいいしいかにも燕尾服を着ている感じで落ち着いて見えるのですが歩き始めるとまるで違う様子になりそのギャップがとてもかわいい鳥です。元々は冬鳥だったのが最近の温暖化で関東以西でも繁殖し始めているのだとか。しかもこいつは川岸や池などだけでなく他の鳥があまり好まないような駐車場とか工場の空地とかいったところでも繁殖し、それ以前は住む場所を分け合っていた「セグロセキレイ」とか「キセキレイ」などを追い払い彼らの住む場所がなくなり困っているのだとか。見かけによらず生活力のある鳥のようです。

1月8日 年賀状

正月松の内も明け今日は8日。年賀状も出揃ったところですが最近「年賀状を今年限りで辞めます」という文言をよく目にします。年を取ったので面倒くさいとかもう義理の賀状は勘弁とかいろいろなのでしょうが私は社会人になり年賀状を書き始めてからずっと版画を彫り友人知人に出しています。下手なりに干支を入れ一人一人に昨年の賀状を読みながらその返事の形にしています。絵心がないのでデザインはそこら辺から拝借していますが版木に刀を入れたりバレンで擦ったりといった作業は全く苦になりませんので体が動く限り、ボケのお迎えが来て自己が無くなるまで続けるつもりです。頂く賀状もあんなに達筆だった人がとか字が斜めってるとか感じるところはありますが何はともあれ賀状を書く気力と体力があることにメデタシと思いながらまた長い間賀状交換していた人の身内からのハガキにさみしさを感じながら。