12月5日 冬バラ

今我が家の玄関先に一輪ピンクのバラが咲いています。15,6年前住んでいたところから越して来た時近所の方がくれたバラです。2,3本あったのですがみんな枯れ一本だけ残っています。それから毎年花をつけています。窪田空穂に「はらはらと黄の冬バラの崩れ去るかりそめならぬことの如くに」という歌があります。秋が短く急激に気温が下がってきたこの頃暖かかった一瞬が通り過ぎバラももうすぐ朽ちます。指でつまむとパラパラと崩れそうです。初夏のバラはいかにも明るく華やかで心がうきうきしてきますが冬のバラは次世代に引き継ぐ命の火がもうすぐ消えようとしている寂しさと悲しさが溢れています。それは「かりそめ」ではなくもう避けられない命の交換なのですね。植物はこうやっって自分の代を終えていくのですね。自然の摂理のなかに何かいいようのない荘厳さと神々しさを感じます。「春にまた会おうぜ!」そんな声をかけたくなりました。

 

12月4日 読売歌壇栗木京子

今週の選は「トップにはガザの惨状その次に柿がうまいと報ずる国か:野老 功」全くその通りですね。ローカルの日本中の世界中のニュースをひとくくりにして報じるのですからやむを得ないといいながら何とも割り切れなさがあります。きっと今日本が平和だからなのだと思います。残っている戦時中の新聞を見ると国威高揚一色で今日も敵を打った、戦艦を沈めたといった記事のオンパレードです。その中に柿がうまいの紅葉がきれいだのといった俗世間の話は出てきません。平和な日本を喜ぶべきなのですが毎日毎日戦火に泣き死んでいく赤ちゃん、子供たちのことは忘れてはいけません。新聞各社も多分悪戯に人の命の軽さを訴えているのではあるますまい。世界の各地でウクライナでパレスティナで起きている惨状を報じることで我々に警鐘を鳴らし世界平和への努力を訴えそのためには悲惨な事にも目をつぶらず関心を持つことが大切だとの使命感だと理解します。

12月1日 忘年会

さて12月。残すところあと一か月なんて文句がこの時期の相場ですが「去年今年貫く棒のようなもの:虚子」という人もいます。皆様はどんな年末なのでしょうか。夕刊に「忘年会は21時には帰りたい・・」との記事が出ていました。シチズン時計が20代から50代を対象に行ったアンケートで社会人の約40%が忘年会など会社での飲み会は午後9時までの一次で終わらせてほしいと思っているようです。私は下戸なので酒席は苦手です。今はもうないのでしょうが偉い人のまわりを取り囲んでお酌の順番を待っているとかご返杯などというのはぞっとします。昔「俺の酒が飲めないのか」と言われたのもその一因でしょうか。無礼講を信じるとえらい目に合うとも聞きます。きっと各会社でも久しぶりの忘年会をするところが多いのでしょうが昔みたいに理不尽な会はさすがに減っているのでしょうね。私たちの協議会もコロナ禍で取りやめていた忘年会を久しぶりにします。