10月17日 営業担当者の雑記

私の好きな西行は1140年10月15日22歳で出家したと伝わります。彼の出家の理由はやんごとなき方(鳥羽天皇の中宮:待賢門院)に恋をしたからとか、朝一緒に役所に出仕した友達が夕方には亡くなり世を儚んだとかいくつかの説があるようです。それまで北面の武士として文武両道に優れ鳥羽上皇の寵愛を受けさてこれからという役人人生を捨ててしまったというのですね。世に西行ファンは五万とおり私も白洲正子の「西行」に影響を受けてからのお付き合いなのですが彼の面白いのはまったくただの坊主、歌創り放浪者ではなくどちらかというと生臭さ丸出しのところです。当時の勅撰集に採歌されるために結構な策略をしたり東大寺再建のための金策をしに平泉にまで出かけるのですが道中に寄った鎌倉で頼朝をおちょくったりまた桜の満開の時期に死ぬのだと公言しその通りに亡くなり当時の貴族間で話題になったといった伝説に事欠かない破天荒坊主だったということです。