わたしのページ(読者投稿)
2019年2月24日

オニ君さんの作品

平成は不安と混迷と受難の時代
 小学生の頃、春休みになると団地の焼却炉で1年間使ったノートや教科書を処分するのが最初の仕事だった。
 マッチで新聞紙に火を点け、炉に投げ入れ、火が大きくなってきたら少しずつプリント、ノート、教科書をくべていく。カギ型の金属棒でかき混ぜ、しっかりと火がまわったら全て投入し、炉の扉を閉める。
 この仕事が終われば、団地の友だちと学年の枠を越えてみんなで遊んだ。缶けり、鬼ごっこ、ドッヂボール…(花壇で花などを育てていたおばちゃんらはヒヤヒヤしていたに違いない)。
 暗くなるまで元気に遊んだ。昭和時代の平和な光景。平成時代になると、子どもたちを取り巻く環境は大きく変わる。埼玉の幼女連続誘拐殺人事件、1997年の神戸市児童連続殺傷事件、2001年は当時長女と同年齢だった8人の児童が殺された大阪池田市の事件…。通学の行き帰りも、放課後の外遊びも安心してできない時代となってしまった。
 そして3年前、この松戸市でPTA会長だった男に当時小学2年生の女の子が殺害された。この男は率先して通学の見守り活動に参加していた。子どもたちの安全対策はどうすれば良いのか、解決の糸口はもはや見えない。虐待件数は昨年、過去最高の13万件を超えた。
 平成時代は子どもたちと、子育て中の保護者の方々にとっても不安と混迷と受難の時代だったのではないだろうか。間もなく新元号へと移行となる。
 次なる時代はどうか子どもたちが悲惨な事件、事故に巻き込まれないようにと願うことしかできない。
(二ツ木・石井裕子)

モモ(牧の原)

少し不便な方が考え行動できる
 ガス瞬間湯沸かし器が壊れた。正確には安全装置が働いて、使用できない状態になった。こうなると修理を依頼するしかない。
 購入してからこれで3度目だ。原因は換気不足だったり、風が直接当たったりと色々ある。
 要は使い方に問題があるとなるのだが、こちらは十分に注意しながら使っていたのに、またなった。
 同じような話を聞く。おそらく事故があってから、安全装置の精度が上がったのだろう。
 前に修理に来た人は 安全装置のロックを解除しただけ(ボタンを押しただけ)で、修理代はしっかり取って帰っていった。また修理を依頼するのかと思うとうんざりした。しかし、冷え性のわたしが冬場にお湯を使えないというのは辛い。
 そこで、ガステーブル(ガスコンロ)で湯を沸かして使ってはどうかと考えた。そして実行してみたところ、いろいろなことが分かった。
 食器などを洗う際、ガス瞬間湯沸かし器を使っていた時は水量の調節が出来なかったため、大量のお湯を無駄に使っていた。ガステーブルで沸かしたお湯を使うようになって、最初はもたついたが、だんだんと工夫して手際よくできるようになっていった。
 まず、油汚れをしっかり拭きとっておく。はじめは水を使って洗い、最後にすすぐ時に少し熱めのお湯を少量使って流す。こうすると、さほど手は冷たくならない上に、食器の水切れがよく、すぐ乾くようになった。使用する水量は格段に減り、洗いものにかかる時間も短くなった。食器がすぐ片付けられるのも嬉しい。
 さらに、ゴム手袋を使えば手荒れ予防のみならず、冷たさの軽減にもなる。どうやれば効率よくできるかなど、よく考えて行動するようになった。
 文明の発達で世の中は便利なものであふれている。便利なものは、生活を豊かにしてくれるかもしれないが、少し不便なくらいの方が手間がかかる分、自分の頭を使って考え、解決する力がつくのではないか。
 寒い朝、あえて冷たい水で顔を洗えば気持ちがシャキッと引き締まって、案外気持ちがいいものだ。
(稔台・伊勢えび)

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岩合光昭氏の「世界猫歩き」
 テレビで動物写真家・岩合光昭の「世界猫歩き」を何度か見ているうちに、何で日本の猫は撮らないのだろうと思うようになった。テレビで見るのは、大都会ではなく自然が残っているような、古い建物がある田舎が多い。そんな猫が伸び伸びと生活しているところを探して撮っているのだろうか。猫と人が自然に共存しているような、そんな温かさが猫の表情から受け取れる。
 日本では、「犬や猫を放し飼いにしないでください。排尿や排便のための散歩はさせないでください」と広報に何度も載っている。お国柄だけではなく、狭い島国の日本では衛生上、環境上難しいのだろうか。それでも犬や猫に洋服を着せて「わたしの洋服より高いんですよ」と愚痴を言いながら、表情はまんざらではない。公園の隅では毎日餌を持って来て野良になった猫の世話をしている人がいる。
 岩合光昭の撮るような猫の写真は日本では難しいのだろうか。それとも日本でも地方や田舎に行けば、見ることが出来るのだろうか。
 (常盤平・後期高齢者)

介護保険の有り難さ感じる
 みなさん、わたしたちは現在、健康保険と介護保険を支払っています。わたしは介護保険が開始された頃、保険料の二重払いのような感覚でいたことを思い出します。その頃は払いたくない気持ちがありましたが、毎月の給料からはがっちりと差し引かれていました。
 しかし今、わたしは松戸市の介護老人保険施設に入所して、すっかり介護保険の厄介になっています。施設は介護を必要な人、機能を調整する人、看護や医療を要する人たちの能力に応じ、自立した日常生活を営むことを願いながら、介護施設に働く人たちに助けられています。
 介護施設は、市の調査によって「要介護」のランク1~5が認定され、その認定度によって施設サービスを受けたり、リハビリテーションのお世話になったりできるようになっています。
 高齢者が多くなって施設利用者が増加している昨今、ますます介護保険のありがたさを感じることができます。
 長生き時代です。介護保険をいっそう理解したいものです。
 老後のためです。介護保険料の支払いにもわたしたちは協力していきたいものです。
(高塚新田・松毬)

良書との出会いとさびしい閉店
 昨年は良書に出会いました。それは、「さよなら、田中さん」(鈴木るりか著)です。作者は小学生で、子どもが書いたものとは思えぬほどの名文です。
 母と子(女子)との暮らし、その中で友情の大切さを教えてくれる物語です。特に、作中に出てくるお母さんの発する言葉は抜群で、その言葉は粗雑ですがあたたかみがあって的を射ています。
 ほかにも人生訓のような言葉がところどころに書かれていて、感動しました。私小説かと思いましたらフィクション。一気に読み終えました。もう一度読み直してみたいと思える本に出会いました。
 最近、本屋が閉店していると聞きます。さびしいです。
 今から10年ほど前にわたしは、食事作りの買い物の途中によく本屋へ寄りました。そこは大型書店で、新刊書を手にしたり本の帯を読んで回ったり楽しいひとときを過ごして帰りました。寄った本屋で気に入った本に出会うと買い求めて、それが何よりの息抜きになりました。
 今の読書方法は、公的機関の図書にお世話になることや、街に出て書店で新しい出来栄えの本を手にとり、幸せな気分に浸っています。また、本屋さんと喫茶室が併設されているところもあってとてもうれしいです。
 わたしは高齢者になりましたが、今年も好きな読書が続けられたらいいなと願っています。
(小金原・小倉芳子)

わたしの家にテレビはない
 「まつど議会だより」にNHK関連の質疑が掲載されていた。実はわたし、その相談の1件になる。
 わたしの家にテレビはない。ずっと自律神経の病気で動画が苦手なので、新聞とラジオで十分。だから、テレビもスマホも持たない。そのため、契約営業担当と毎回もめる。
 「今時テレビもパソコンもスマホもないわけがない。いいから契約して」である。家に入ってテレビがないか確認して、やっと帰った人もいた。消費生活センターは「苦情を営業センターに伝えてはどうか」と言うが、怖すぎて関わりたくないのだ。
 議会だよりを読んで、市民は問題意識を持っているのでは、と思えた。持たないテレビで嫌な思いをし、その上どこからも守ってもらえず困ったものである。
(牧の原・うさぎもち)

やさしくかわいい桃色の花
 孫の初節句のお祝いに、いただいた花桃の鉢植えを狭い庭に植え替え、もう27年が経った。やさしくかわいい桃色の花。花数も年々増え、見事に咲いてくれる。
 その孫に、二人の女の子(わたしたちにとってはひ孫)も生まれた。
 つぼみはまだ固いが、おひな様の頃にはまた、枝にたくさんの花をつけ、みんなを楽しませてくれることでしょう。
(五香・池亀レイ)

大相撲の土俵についての話
 大相撲の土俵は、まん丸ではありません。東西南北の4か所が広くなっています。その場所を徳俵(とくだわら)と言い、事典によると「土俵の四方中央に切れ目を作り、円の外側に一俵ずつずらして置いてある俵」のことです。
 土俵が屋外にあった時代の名残で、溜った雨水を流すために作られたものです。
 この徳俵は、力士にとっては重要なピンポイントで、片足1本で反撃の体制に立て直せる場所になり得るのです。この場所を生かしきれば逆転勝ちが可能になるのです。徳俵の徳は「得」にも通じるのです。
 今年の初場所は両国国技館、1月13日が初日ですね。これを折に、土俵の徳俵にも注目してみるのはいかがでしょうか。
 ところで、この徳俵を我々の人生にたとえ、「踏ん張りどころで耐え忍べば、輝かしい未来がひらけるかも」と言われます。
 ついでながら、岡山県の勝央北(しょうおうきた)小学校の生徒は、今なお四角い土俵で相撲を取っているそうです。「四角い土俵」、これまた初めて知りましたね。
(徳俵一番 75)

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