本よみ松よみ堂
安野貴博著『松岡まどか、起業します AIスタートアップ戦記』

トラブルに巻き込まれた女子大生が起業。会社とともに成長する物語

 読みながら、「著者はAIの可能性を信じている人なんだな」と思っていた。
 読み終わって、著者のことを調べてみると、昨年の都知事選に立候補した方だった。東京大学工学部を卒業した起業家でAIエンジニア。SF作家としては、本作がデビュー2作目となる。現在は、政治活動家という肩書も加えられている。著者の経験や経歴がふんだんに生かされた作品だと思う。
 学生あこがれの人気大企業・リクディード社のインターン生だった松岡まどかは、突然、内定取り消しを言い渡される。理不尽さに怒りを覚えた松岡は「私――起業します」「スタートアップを立ち上げます」と啖呵(たんか)を切った。
 実は、これには伏線があった。タイミングよく、遠藤麻由子という投資家から資金を出すから、リクディード社に入社しないでスタートアップを起業しないか、という誘いがあったのだ。遠藤によれば、スタートアップというのは「短期間に成長しようとする企業」のことだという。
だが、程なくインターンの教育係だった三戸部歩(みとべあゆむ)の指摘で、遠藤に騙されたことに気づく。1年以内に時価総額10億円の会社を作らないと、松岡自身が1億円の借金を背負うことになるという契約だったのだ。
 どん底の松岡だったが、なぜか三戸部もリクディード社を辞めて、松岡のスタートアップを手伝ってくれることに。三戸部は頭の切れる仕事のできる女性で、しかも、起業に詳しかった。ここから、松岡と三戸部、二人の戦いが始まる。
 1960年代に創業したリクディード社は、人材、情報サービス、金融、教育などの領域で多角的な事業展開を行っていた。特に人材関連分野に強く、三戸部がいた事業部では、転職プラットフォーム『ビズリサーチ』を運営していた。
松岡が立ち上げたスタートアップ、「ノラネコ」も企業の人材採用の分野のサービスを展開する。リクディード社と違うのは、AIを積極的に使うということ。
 松岡は、高校生の頃から、複数のAIを「育てて」いた。成長したAIが松岡を助け、事業の中心を担うことになる。この辺は近未来SF的で、現在の技術はそこまでは行っていないのかな、と思う。
 リクディード社の事業とノラネコ社の事業は同じ土俵にあるので、当然、競合することになる。松岡に内定取り消しを言い渡した事業部長の郷原(ごうはら)が、物語の最初から最後まで敵役(かたきやく)になる。郷原は、自分の出世のためならどんな汚い手もいとわない男で、大企業の優位性をフルに利用する。一方、ある意味いやいや起業した松岡だったが、ノラネコ社の存在意義はどこにあるのかを考えるようになる。彼女の一つの答えは、過剰な労働で身も心も壊し、引きこもりになってしまった兄のような人を助けることだった。
 立場が人を作るというのか、1年の間に松岡も変わっていく。最初は、特に優秀でもない自分がどうして人気企業リクディードの内定をとれたのだろうと考えるほど、普通の女子大生だった。それが、会社が少しずつ大きくなり、大きな責任と苦難に出会い、決断を迫られたことを境に、彼女は大きく変わっていく。いや、変わらざるを得なかった。
 三戸部が松岡と初めて出会った時に言った言葉。
 「じゃあ、仕事をはじめよう――世界に君の価値を残せ」。
 読者が、自分の経験に照らし合わせながら、いろんなことが考えられる言葉だと思う。【奥森 広治】

早川書房 1800円(税別)

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