わたしのページ(読者投稿)
2023年6月25日

従姉は私達の生きるお手本
 わたしの90歳になる従姉(じゅうし)は愛知県に住み、時々手紙等で連絡を取り合っています。
 先日、95歳の夫が亡くなったと電話をもらいました。70年近く連れ添い、直前まで話していた人に先立たれ電話口でもらい泣きしました。
 彼女は旧満鉄に勤めていた父親を終戦直前に亡くし、母子6人で日本に引き揚げて来る船中、乳飲み子の弟を栄養失調で亡くし水葬にしたそうです。長子だったので小学校までしか行けず、愛知県に就職しましたが休憩時間に拾った新聞を読んでいた時、若い男の人が「そんなに読み物が好きなの?」と声を掛けてきて、家から色々な本を持って来て貸してくれた縁で結婚。二人の子どもにも恵まれ、子どもに手がかからなくなった頃から10数年間はお姑さんが寝たきりになり、介護生活になりましたが、ラジオの英会話の勉強、食事とおむつ替えの間の時間に家の鍵を近所の人に頼んで英会話スクールにも通い、近所では批判する人や理解してくれる人と様々でしたが、お姑さんが亡くなられた後は外資系の会社に勤め定年まで頑張りました(中国語と英語が出来た事で小学校しか出てないのは問題にならなかった様です)。
 定年後はその頃ブームだったきんさん、ぎんさんのボランティアをしたり、夫婦で海外旅行を楽しんだり、ご近所のたまり場になったりと忙しくしてましたが、去年家の中で2回も転んで骨折し寝たきりになりました。が、何としても、もう一度自分の足で歩きたいと少し良くなったら、ベッドの中で、自分でオムツを外し付けたとのこと。外したオムツは袋に入れ夫に渡して始末をしてもらい、介護の人やリハビリで訪れる人を驚かせたとのこと。
 ただ清拭(せいしき)や食事はお願いし、4月頃から少しずつ歩けるようになった矢先、夫に亡くなられ今は途方に暮れています。夫の最後の言葉は「お母さんあまり無理するなよ」で、その言葉の後すぐに倒れました。心臓動脈瘤破裂でした。
 今はわたしを介護したためじゃないかとか後悔の気持ちが多い従姉ですが、もう少ししたら持ち前の意志の強さで立ち直り、わたしたちの生きるお手本になってくれると信じています。
(根本・みみちゃん 73)

予約不要での見学はありがたい
 6月15日号の広報まつどに、国の登録有形文化財「旧齋藤邸」の見学が予約不要となるというお知らせが載っていた。旧齋藤邸は無料で利用、見学できるが、今まで(現在)は事前に電話で申し込む必要があった。それが、今年の7月1日からは見学が原則予約不要となった。
 旧齋藤邸は明治34年(1901年)に建築された茅葺屋根の木造住宅で、約5500平方メートルの広大な敷地に、主屋、離れ、竹林、竹紙工房などがあり、庭園には梅やハナモモの樹木をはじめ、四季折々の植物であふれている。
 旧齋藤邸には一度だけ行ったことがある。5年前の2018年に開催された旧齋藤邸祭りに参加させてもらった。
 この時は、メインプログラムのコンサートの他に、竹紙漉きなどの体験コーナーがあり、たくさんの人でにぎわっていた。豚汁をご馳走になり、美味しくいただいたことを覚えている。
 茅葺屋根の古民家は趣があって、そこだけ時間がゆっくり流れているように感じた。季節は秋で、ススキの穂が陽の光を浴びて輝いていた。また、裏庭にある竹林はとても美しく、青々とした竹は生命力に溢れていた。
 一目見て大好きになった旧齋藤邸だが、ふらっと散策したいだけの自分は、事前に電話予約をすることに抵抗があり、それから一度も訪れていなかった。
 旧齋藤邸は東松戸駅から徒歩約13分のところにある。うちからは少し遠いが歩ける距離にあるので、これから季節季節の植物に会いに、たびたび見学させていただこうと思っている。楽しみがまたひとつ増えた。ありがたい。(夏椿)

人生いくつになっても勉強
 歴史マニアの友から、久能山東照宮(静岡市)には「家康だけじゃあなくて、秀吉と信長も祀ってあることを知ってましたか?」とたずねられた。静岡県出身者としては寝耳に水の話題で、絶句してしまい、早速ググってみました。
 久能山東照宮は、徳川家康公をご祭神とする全国東照宮の創祀です。徳川家康公は、1542年に三河国岡崎城(愛知県岡崎市)に生まれ、江戸時代260余年にわたり世界に其の比を見ない「泰平の世」の礎を築きました。晩年は大御所として駿府城に在り、そして波乱に満ちた75年(1616年)の生涯を閉じました。
 久能山東照宮の祭神は徳川家康ですが、確かに相殿(あいどの)と言って、同じ社殿に2柱以上の神を合わせて祭ることで豊臣秀吉、織田信長が祀ってありました。まだまだ勉強不足!
 現代は人生100年の時代。幾つになっても学習し続けることが、豊かな人生につながると考えています。(家康は一番 79)

「一太郎」との永遠の別れ
 6月11日の読売新聞の朝刊、「あれから」というコラムに、日本語ワープロソフト「一太郎」が発売されたのは1985年8月だった、という記事が掲載されていた。一瞬、目がくぎづけとなった。
 まだパソコンが一般に普及する前の時代、日本語の文書作成に画期的なソフトとして日本中にブームを呼び、時流に乗って一躍その名を広めた。
 1959年7月、ギラギラと太陽の照りつける夏休み初日、11歳になったばかりの弟は、乾いた白い舗道をまっすぐ海に向かって歩いて行った。角を曲がる時、一瞬弱々しい微笑みをわたしに送った。わたしは思わず、右手をあげ小さく振った。それが弟との永遠の別れとなった。
 大好きな海で思いっきり遊べるという嬉しさは、なぜかわたしには伝わらず、ただひたすら、ある水泳選手の泳法に憧れ、それを習得したいという気負いが感じられた。
 通っていた小学校では、遊泳は高校生以上の大人2人の付き添いがあれば許可するという校則があり、弟は忠実に守った。隣家の高校生2人に頼み込んだのだろう。
 両親は放任主義だったのか、宝物だったはずの長男の一途な願望を鵜呑みにしたのか。練習すればマスターできると高をくくった子への許容は後に大きな禍根を残した。
 後年、わたしはその同じ海岸で水泳の真似事をした。大人がかろうじて立って、肩くらいの位置に危険境界線を示すブイがプカプカ浮いているだけの、日本海の荒波、恐怖に打ちのめされた。
 その時以来、弟は当時の学校教育の犠牲者だったのではないかと強く考えるようになった。事を荒立てたりしない両親とその話をした記憶はない。
 現在の小中学校でも、当たり前にあるプールでの水泳授業は、より安全になったと言えるのだろう。
 存命ならば今年5月、75歳となる弟は、親からもらった自分の名前「一太郎」を嫌い、大人になったら改名して総理大臣になる、とわたしに目を輝かせて訴えていた。不思議なことに自分自身の死への疑問を投げかけてもいた。
 命日が近づくと、大人用の自転車を三角乗りで漕いでいた二人の笑い声が心にこだまする。(松戸 A・T 77)

一大決心で終の棲家を購入
 娘から隣の土地が売りに出てるから買って引っ越しておいでよ、と声がかかったのがわたしが72歳の時。その2年前に自分たちの住んでいるマンションをリフォームして夫婦二人でず~っと暮らそうね、と話していましたので引っ越す気など、全くありませんでした。
 しかしその間、娘からは、ここのメイン通り沿いはまず土地が空かないし売り物がないと言われ、改めて自分たちを振り返って見ました。
 主人83歳わたし72歳、住居は駅に近いだけで病院もスーパーも遠く、わたしは共働きだったので車の免許も62歳で取得しました。今では車が手放せない日々となり、今後高齢になるばかりなど、いろんなことが走馬灯のように頭を過りました。
 娘の家の隣ということと、病院も買い物も環境も良く、駅に徒歩10分…。今の住まいを売って買うか、しかし土地からの購入となると一から家を建てなくてはならず、と考えると頭の中はいろんなことがグルグル廻り、どうにかなりそうでした。
 今、自分は終活をし断捨離中なのにと思いましたが、一大決心で土地を購入。図書館から本を借りて、建築士さんに説明を受けて腑に落ちないことは自分も勉強しないと反論できないのでたくさん勉強しました。
 子どもに一級は無理でも二級は受かると言われるほど勉強しました。
 かれこれ半年以上かかり完成し、昨年5月の入居から1年経ちました。若い頃は共働きのため全く戸建ては考えずマンションばかりでしたが、戸建ては落ち着くなと感じています。
 シニアクラブにも入り、ご近所とも知り合いも増え、生活は便利に何よりも娘の家の隣ということが一番心強い。あと何年住めるかわかりませんが、念願だったウッドデッキを大きく造り、蕗(ふき)やミョウガ、じゃが芋、花でいっぱいにしています。
 実に大変な一年でしたが主人85歳わたし74歳、終の住処に満足している今日この頃です。(常盤平・シーチャン 74)

先生・スタッフの方ありがとう
 肩が痛く整骨院に通い始めて4か月。完全とは言えないが、やっと不自由なく腕を動かせるようになりました。
 一時は長年続けているスポーツもこのままできなくなるのでは、と落ち込んだりもしましたが、今では再開し汗を流せるほどになりました。
 絶対治るからと励ましながら治療をしてくださった先生、また常に明るく患者さんたちを和ませてくださるスタッフの方々のおかげだと感謝しています。ありがとうございました。
(こむぎ)

副鼻腔炎で顔が痛くなることも
 先日、人生で2回目の副鼻腔炎(蓄膿症)になりました。一般的に症状は鼻水、鼻づまりですが、わたしの場合、鼻の中が臭いのと顔の半分が痛くて口が開かない、歯が痛い、となってしまいました。
 そのため、耳鼻科と歯医者のどっちに行けば良いのかわからなくなってしまったのですが、先に耳鼻科へ行った時、そのことを医師にたずねると「虫歯で顔は痛くならないから」と言われました。
 もし、歯と一緒に鼻に違和感を感じたら、副鼻腔炎を疑って耳鼻科へ行くことをオススメします。(西馬橋 M・I 40)

杉本洋子さんの作品

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