わたしのページ(読者投稿)
2023年4月23日

現実に目を向けなければ…
 娘の幼なじみは公立の高校教師。3か月休みなしで働いても残業代は支払われない。もう一人は看護師。国立の病院勤務時代は残業代ゼロだった。わが家の娘は酪農獣医。3年間勤めた家畜診療所から残業代が支払われたことはなかった。
 いずれも、がんばって国家資格を取得し、命と向き合って自分の身を削って働いても対価は支払われていない。
 3人とも、私立の大学を卒業し、数百万円の借金を背負って社会に出たが、奨学金の返済も遅々として進んでいない。若者の海外流出が止まらないのも当たり前のことだと思う。
 少子化対策に給食の無償化や育児休業の取得等が論点になっているが、そこではないと思う。
 そもそも若者はどんどん日本という国を捨てて海外に活路を見出している。この現実に目を向けなければ、約1世紀後には日本は存在しないかもしれない。
(二ツ木・石井裕子)

振り返る私の胃がん闘病記
 胃がんにて胃全摘出、脾臓摘出、リンパ節郭清の手術を受け、鳩尾(みぞおち)から20cmの傷をなでながら32年が過ぎました。
 はじまりは、朝一番におはようと顔を近付けたペットの室内犬が、顔をしかめるように主人の所へ走って行った事。わたしのお口の臭いがイヤなのかなと呟くと、主人もこのごろ少し口臭があるよと言う。自分でもゲップがあり、胃の不快感もあった。
 毎年、誕生月に受けていた人間ドッグだが、息子の卒業や大学入試のことなどで8月になり検査をする。案の定「再検査」の通知が届く。平成2年(1990年)10月、胃全摘出、脾臓摘出、リンパ節郭清の開腹手術をする。
 当時は本人に病名を知らせることなく胃潰瘍と告げられていたが、ガン保険の「胃悪性腫瘍」との書類を見て、ステージ3の診断だったと主人が白状する。
 53kgで入院し、40日間の入院生活にて38kgとなり、退院時、靴がゆるゆるになっているのに驚く。現在43kgになるが、いろいろな後遺症に苦しむ。
 食後のダンピング症状。つかえ、吐き気、脱力感、冷や汗、どうき。胃袋を全部摘出したことにより食べた物が急速に腸にまで落下してしまうことでのダンピングで、症状を防ぐ食べ方は、少しずつ、良く噛み、少しずつ飲み込む。そして、消化酵素剤と一緒に、朝昼夕夜と4回食事をし、何より、最初のひと口に注意する。
 バナナは口の中でとろけるまでよく噛む。卵は黄身のトロトロの目玉焼き、または薄焼きにして刻んでご飯の上に乗せたり、1日1個は必ず摂取。生タマゴは手術後30年以上食べていない。このところ気に入ってる味噌汁は旬の野菜、大根ネギ白菜にんじんなどと、豆腐とベーコンを入れてよく煮て、野菜のエキス満載のミソスープを少しずつ飲み、具はお腹と相談しながら食べたりする。大好きなお寿司は、マグロの赤身を3カンだけ食べて満足する。また牛乳は栄養士さんに勧められるがダメなものはダメなので30年以上飲んでいない。
 低血糖。食後2~3時間経ってから現れてくる後期ダンピング症候群による低血糖の症状。ふらつき、眠気、脱力感、冷や汗、どうき、などで32年になる今でも時々ある。昨年の夏、ふらつき、脱力感、冷や汗の症状が起き、松戸駅のベンチで1時間休み、甘いジュースを少しずつ少しずつ飲み回復した経験がある。お出かけにはアメが必需品です。
 ビタミンB12の欠乏性貧血。ビタミンB12は人が生きていくのに欠かせない物質で、胃全摘出の人はビタミンB12が吸収されなくなり、足がしびれたり、記憶障害、集中力の低下などがある。メザシやイクラなど魚類に多く含まれているが、ビタメジンのビタミン剤は毎食後欠かせない薬です。
 養生記はまだまだありますが、風もなくよく晴れた日の午後、ソファーに座り、願うことがあります。「みんなみんな、オギャアオギャアと、泣いて生まれ出た人生。最期は精一杯笑って、精一杯の『ありがとう』とね」。(こいぬ)

自分の身は自分で守ろう!
 4月1日から努力義務になった自転車のヘルメット着用。統計調査でヘルメット着用した人の8割が軽症で済んだとのことです。
 ちょうど3年から4年ほど前、コロナ対策のマスクを求める方が多く品薄状態になったことをふっと思い出しました。ヘルメットが売り切れることを想定し、駆け込み需要が増えるみたいです。
 早めの備えをと考えています。自分の身は自分で守ると昔から言われている教訓をこれからも続けていくようにと思います。
 マスクの次はヘルメット。頭と口(くち)に気をつけて普段の生活をと考えています。
(胡録台・ヘルメット)

全ての人が暮らしやすい世界に
 スーパーで商品を1つだけ持ってレジに並んでいたら、前に並んでいた方が「お先にどうぞ」と順番を譲ってくれようとしました。「いえいえ、とんでもない」と一度は断ったのですが「どうぞどうぞ」と言ってくれたので「ありがとうございます」と譲っていただきました。会計後に再度お礼を言い、お互い笑顔で別れました。
 帰り道、とてもあたたかい気持ちになりました。そして、昔はレジでの順番の譲り合い(買う物が1つだけ、または少量の方が自分の後ろに並んでいたら会計の順番を譲る)をすることがよくあったなぁとしみじみ思い出しました。
 自分のことだけを考えて、レジでの支払いが遅いだの、動作が遅いだのと文句をいう人がいます。悲しいかな、自分さえ良ければいい、そんな風潮の世の中にどんどんなっているように感じます。
 自分ができるからといって、他の人もみんなできるわけではないのです。世の中には上手にできる人もいれば、できない人もいます。生まれつき、事故、病気、そして加齢。
 最近読んだ本の中にこのような言葉がありました。「ハンデのある(障害を抱える)者が生きにくい社会は、ハンデのない者にとっても生きにくい社会である」。まさにそのとおりだと思いました。ハンデのある人に優しい世界はきっと全ての人が暮らしやすい世界。
 そんなあたたかい世の中になってくれることを願い、わたしもできることから始めようと思います。(鈴蘭)

名取悦子さんの作品

ママちゃん(高塚新田)

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