本よみ松よみ堂
町田そのこ著『うつくしが丘の不幸の家』

なにが幸せかは人それぞれ。定形などはない

 海を見下ろす住宅地『うつくしが丘』に建つ、築21年の三階建て一軒家を購入した美保理と譲。一階を念願の美容室に改装したその家で、夫婦の新しい日々が始まるはずだった。だが開店二日前、偶然通りがかった住民から「ここが『不幸の家』って呼ばれているのを知っていて買われたの?」と言われてしまい……。わたしが不幸かどうかを決めるのは、家でも他人でもない。わたしたち、この家で暮らして本当によかった│ │。
 本のとびらを開くと、こんな紹介文(一部抜粋)が書かれている。
 瀧井朝世氏が書いた文庫の「解説」によると、本作の冒頭三章は雑誌『ミステリーズ!』に掲載されたとのことだが、本作はミステリーではない。
 この作品は五章とエピローグからなる連作短編。第一章「おわりの家」は冒頭の紹介文にあるとおり、美保理(みほり)と譲(ゆずる)という若い夫婦の物語だ。章が進むごとに、前の住人の話になり、時間が巻き戻されていく。第一章から、この家の隣にずっと住んできた荒木信子という老女が登場する。美保理の話を聞いた信子は「一体誰がそんな無責任な噂を流すのかしら」と憤る。信子の実感としては、住人たちは決して不幸ではなかった。だが、住人たちが何かの事情でせっかく購入したこの家を手放さざるをえなくなったのも事実。そこにはどんな事情があったのだろうか。
 第二章「ままごとの家」は結婚二十二年になる多賀子と義明という中年の夫婦の物語。子供はみんな平等という家で育った多賀子と、とにかく長男が優遇されるという家庭で育った義明では、子育てに対する考え方が、かなり違っていた。長女の小春(こはる)は進路をめぐって義明と対立して二年前に家出。義明から甘やかされて育った長男の雄飛(ゆうひ)は大学受験を前に、ある問題を起こす。これより少し前、多賀子は以前に住んでいた社宅で隣の部屋に住んでいた紀子と街で偶然出会い、義明が浮気をしているという噂を聞いていた。
 第三章「さなぎの家」は、高校の同級生だった叶枝(かなえ)と紫(ゆかり)の物語。叶枝はモデルになることを夢見て上京したが、キャバクラで働きながら生計を立てていた。男に騙され、預金を全て失い、失意の中帰郷する。紫は叶枝も知っている高校の同級生の男性と結婚していたが、理不尽な理由で離婚を突き付けられ、幼い娘の響子を引き取ることだけを条件に離婚を受け入れた。叶枝と紫は高校の先輩である蝶子(ちょうこ)にほぼ同時に相談し、二人が自立できるまでの一年間という期限付きで持ち家を貸してくれることになった。
 第四章「夢喰いの家」は、その蝶子と夫、忠清(ただきよ)の物語。第三章までは、女性が語り手だったが、この章だけ男性の忠清が語り手になっている。忠清は三十代後半で十歳以上年下の蝶子と結婚した。遅い結婚だった忠清は早く子供が欲しいと願ったが、男性の忠清の方に問題があって妊娠できないことが分かった。二人は不妊治療を始めるが、なかなかうまくいかない。精神的、肉体的苦痛と、重い経済負担が重なり、追い詰められていく。不妊治療は特に女性側の苦痛が大きいという。忠清は思い余って、蝶子に離婚を申し出る。
 第五章「しあわせの家」は真尋(まひろ)という女性の物語。健斗(けんと)という男性と知り合い、結婚を前提に、健斗の連れ子の小学一年生の惣一(そういち)と暮らし始めた。しかし、健斗は嘘ばかりの男だということが分かってくる。ただ「築浅の割と大きな持ち家がある」ということだけは本当だった。結婚は真尋の幼いころからの夢。真尋には幼いころに他の女性を選んで家を出ていった父に捨てられた、愛されていなかったという思いがある。そこに届いた父、大祐(だいすけ)の訃報。複雑な思いをかかえて、真尋は惣一を連れて父が暮らした家を訪ねる。惣一は健斗とは違い、優しく聡明な男の子だった。
 第四章で、隣に住む老女、荒木信子は忠清に「わたしね、夢ってとても乱暴な言葉だと思うの」と話す。忠清は自分に向けられた言葉だと勘違いして気落ちするが、それは信子自身の深い悔恨から来る言葉だった。夢を振りかざして自分の価値観を押し通せば、誰かを傷つけてしまうことがある。
 なにが幸せかは人それぞれ。定型などない。
 家に残された釘や小さな落書き。そこにはどんな物語が隠されているのか。前の章で出た小さな謎が次の章で回収されていくのも楽しい。
 この家の庭には大きな枇杷の木がある。この木をめぐる物語も温かい。【奥森 広治】

創元文芸文庫 700円(税別)

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