本よみ松よみ堂
川越宗一著『熱源』

文藝春秋 1850円(税別)

 維新から終戦まで樺太アイヌを描く大河的小説

 第162回直木賞受賞作。明治時代の初期から太平洋戦争終結直後までの約70年を描いた大河的小説。樺太(サハリン)生まれのアイヌ・ヤヨマネクフ、リトアニア生まれのポーランド人、ブロ二スワフ・ピウスツキの人生を中心に描いている。二人の人生にかかわる人々のほかに、大隈重信や二葉亭四迷、金田一京助などの有名人も登場する。
 誰のものでもなかった樺太は、帝政ロシアと新興国・日本の都合で「所有者」がコロコロと変わった。明治8年(1875)の樺太・千島交換条約で樺太はロシア領に。日露戦争後の明治38年(1905)には北緯50度から南が日本領になった。ソビエト連邦の草創期には5年ほど日本が北サハリンを占領した。
 第1章「帰還」は、北海道の対雁(ついしかり)に移住したヤヨマネクフ、「親友」のシシラトカ、和人の父とアイヌの母を持つ千徳太郎治の少年時代が描かれる。ヤヨマネクフは幼少期に流行病で両親を亡くしたが、アイヌには孤児を慈しむ風があり、親戚筋には責任感もあるため、遠縁の大頭領アツヤエークに育てられた。樺太がロシア領になったことから、樺太から移住してきた。
 ヤヨマネクフたち3人は日本の学校に通っている。明治維新後の和人たちは、アイヌの「文明化」に熱心で「立派な日本人になること」を押し付けてくる。日本人自身が西欧列強に追い付くため、思いっきり背伸びをしていた時代である。
 ヤヨマネクフたちは、日本人の少年たちと乱闘騒ぎを起こす。少年時代のたわいもないエピソードのようでもあるが、そこには無遠慮な少年期特有のあからさまな差別意識がある。
 ヤヨマネクフはこの村で後に妻となるキサラスイという美しい少女に出会う。そして、あることをきっかけとして、故郷の樺太に帰ることを目指すのである。
 第2章「サハリン島」からは、もう一人の主人公とも言うべき、ブロ二スワフ・ピウスツキが登場する。
 ブロ二スワフは、ポーランドの隣国リトアニアの出身。リトアニアはもともと独立国だったが、周辺国に対抗するためにポーランドと連合し、「共和国」をつくり、文化的にもポーランドに馴染んでいた。しかし、プロイセン、オーストリア、ロシアによって3度にわたり国土を分割され、地図からは姿を消した。この時代はその領土の過半をロシアに支配され、強硬な同化政策の中でポーランド語も禁止されていた。
 ブロ二スワフは故郷の悲願である独立の回復と社会主義運動に傾倒していたが、皇帝暗殺未遂事件に関与したとしてサハリン(樺太)に流刑となった。実は冤罪(えんざい)なのだが、取り調べという名の拷問によって、15年の懲役(強制労働)となった。15年の懲役が終わっても、すぐに自由の身にはならず、自活する流刑入植囚として10年間、島内の決められた場所に住まなくてはならない。合わせて25年。
 ブロ二スワフはそんな絶望的な境遇の中、島のギリヤークという民族と出会い、「民族学」という学問の道に入ってゆく。サハリン島には、アイヌのほかに、ギリヤークやオロッコなどの民族がいた。そして、後にヤヨマネクフたちアイヌとも親交を深めてゆくのである。
 終章の「熱源」まで7章あるが、実は第1章の前には序章「終わりの翌日」として短いプロローグが書かれている。
 昭和20年(1945)8月15日の終戦の詔の後に始まったソ連軍の侵攻。この戦いに従軍したクルニコワ伍長という女性兵士の物語。大学で「民族学」を専攻していたが、戦争は彼女からすべてのものを奪っていった。
 読み終わるまで知らなかったのだが、この作品は史実をもとにしたフィクションだという。登場人物も実在した人が多く、その後どんな人生を歩んだのかは史実として残されている。その点と点を想像力でつないで、一つの大きな物語に仕上げている。
 ヤヨマネクフは自分たちが「滅びゆく民」かもしれないということを危惧している。実際に人口が減り、和人と馴染むことで、独自の文化が薄れゆくことを懸念している。
 「優勝劣敗」あるいは「弱肉強食」という言葉。物語の中で何度か出てくるが、滅びるのには理由があり、強者が生き残るのが自然の摂理だという考え方が、大航海時代以降の世界を支配してきたように思う。その帰結が、先の第二次世界大戦だった。
 しかし、スペインに滅ぼされたインカ帝国の文明に見るべきものがないとは、だれも思わない。あるいは、黒船の来航で開国を余儀なくされた江戸時代の文化は価値のないものだろうか。今、世界の人々が日本を訪れる時の主な理由としている日本文化の多くは、江戸時代以前に醸成されたものだ。
 「戦争が強い」ということと、「文化的に優れている」ということはイコールではない。古代ギリシャの強国スパルタがアテネには文化面ではかなわなかったように、中国を支配したモンゴル帝国(元)が中国の文明を取り入れていったように。
 タイトルの「熱源」は、どんなに困難な時でも、生きるための「熱」
の「源」となるもの、というような意味だと思う。
 それは、ヤヨマネクフとブロ二スワフの故郷への想いであったり、ブロ二スワフにとっては学問との出会いだった。その「熱」がある限り、滅びることはない。
 アイヌの方々は今、どんな暮らしをしているのだろうかと、知りたくなった。多くのことを知らなかった。
 【奥森 広治】

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