松戸周辺の城跡を訪ねて⑰

堤台城の一部と言われる堤台八幡神社

野田市 堤台城

 堤台城があったとされる台地上の住宅街の中に堤台八幡神社があり、氏子が建てた説明板には次のような内容が書かれている。
 「当八幡神社は、初代岸和田城主岡部美濃守宣勝が、堤台城(天正19年〈1591〉築城、慶長14年〈1609〉丹波国亀山へ城替えのため廃城)内へ神殿を造られたのがはじめで、慶安元年(1648)9月17日、徳川幕府三代将軍家光公から社領御朱印5石が寄進されている。
 八幡宮と書かれた社額には、徳川幕府5代将軍綱吉公の時代に、僧侶の最高の位となった前僧録前大僧正隆光の書が彫られている。

堤台八幡神社境内

 神殿は、昭和32年に改築され、現在に至っている。
 なお、境内には、稲荷神社、天満宮、大杉神社、浅間神社が祀られている」。
 つまり、この神社が城の一部だったということである。『東葛の中世城郭』(千野原靖方著・崙書房出版)によれば、「城の規模は、南部の北前台地を含まないと推定して、東西が約50メートル、南北350~400メートルの範囲が考えられる」という。

樹齢200年以上と言われる「八幡守り桜」

 八幡神社境内には「八幡守り桜」がある。樹齢は200年以上。幹幅約3メートル60センチ、高さ約17メートル。来週末には満開になっているだろう。

補足 我孫子市 中峠城跡の波除不動

 ⑬で紹介した我孫子市の中峠城で、取材時に見落としたため波除(なみよけ)不動尊の写真を掲載できなかった。
 中峠城は古利根沼(旧利根川)の南岸の舌状台地上にある。芝原城とも呼ぶ。

古利根沼南岸の台地麓にある波除不動尊

 沼の南岸の台地の麓には、波除不動尊がある。江戸時代、人々は利根川の取水による崖崩れに悩まされていたが、享保3年(1718)に不動尊を安置したところ、崖崩れがなくなった。それで、「波除不動」「波切不動」と呼ばれるようになったという。
 古利根沼は大正時代の中頃まで利根川の本流だった。よく氾濫する場所で、明治時代末から利根川をバイパス的に真っ直ぐにする改修工事が行われ、この部分だけが沼として取り残された。旧利根川上にあった茨木県との県境もそのまま残り、今でも沼の北岸は茨城県取手市になっている。【戸田 照朗】

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