本よみ松よみ堂
武田砂鉄著『偉い人ほどすぐ逃げる』

文藝春秋 1760円(税込)

忘れてはいけない問題を、しつこく問い直す時事コラム

 フリーライターの武田砂鉄さんのことを知ったのはラジオがきっかけだった。
 2019年春、TBSの夕方のニュース番組「荒川強啓 デイ・キャッチ!」が急に終わり、「ACTON(アクション)」という番組が始まった。1995年4月から2019年3月まで24年も続いた老舗番組はなぜ突然終わったのか。青木理さん、宮台真司さんなど、時の政権を厳しく追及する論客が出演していただけに、「ひょっとして圧力?」と思わせた。後継の「ACTON」は、文化面に焦点をあてたワイド番組で、「デイ・キャッチ!」に比べると、当たり障りのない番組のように思われた。
 パーソナリティは日替わりだったが、金曜日担当の武田砂鉄さんだけは時事問題へのコメントも多く、「デイ・キャッチ!」恋し、の心を少し満たしてくれた。同番組は1年半で終了したが、武田さんは今も夜10時からの「アシタノカレッジ」金曜日を担当している。女性蔑視発言でオリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(当時)を厳しく追及した澤田大樹記者と時事問題について話す「ニュース・エトセトラ」のコーナーは必聴だ。
 この本は2016年から雑誌『文學界』で連載している時事コラム「時事殺し」から選び抜いて一冊にまとめたものだという。ただ時系列に並んでいるわけではなく各章のテーマごとにまとめられている。各章のタイトルは「偉い人が逃げる」「人間が潰される」「五輪を止める」「劣化する言葉」「メディアの無責任」。
 著者は連載の依頼があった際、タイトルを「爺殺し」と聞き間違えたエピソードを「ヤクザ原稿が掲載拒否された」というコラムに書いている。「このところ、時事問題は殺す・殺されると呼べるほどの緊張関係に陥ることは稀で、むしろ、早いところ国民に忘れてもらおうとか、謝ったんだからもうその話をするのはやめようぜとか、問題と直面することを回避しようと逃げ回る後ろ姿を追いかけて肩を叩くのが、時事考察の主作業となった。〝未来志向〟の政治家たちはその行為を揚げ足取りだと煙たがり、その支持者たちはお花畑だと蔑んでくる」と書いている。
 著者は〝偉い人〟たちの言葉尻にこだわる。言葉尻にはその人の本音がにじむことがあるからだ。言葉を大切にする物書きの姿勢としては、むしろ当然だと思う。
 「まだ布マスクが来ない」と書き続ける。ラジオでも「まだ布マスクが来ない」と言い続けていたが、もう来たのだろうか。みんな忘れてしまっているが、天下の愚策「アベノマスク」には、260億円もの税金が投じられた。「プレミアムフライデー」のことも言い続ける。
 著者はフリーになる前は河出書房新社に勤めていたという。同社の近くには国立競技場があり、新国立競技場の建設の様子も間近に見えた。新国立競技場の建設で都営霞ヶ丘アパートは取り壊され、住民たちは長年築いてきたコミュニティを奪われた。急ピッチの過酷な作業の中で地盤工事の施工管理担当の男性が自殺した。国立競技場は頑丈で、建て直しではなく改修で済んだのではないか。国立競技場ひとつをとっても様々な問題があったが、もう話題になることもない。私たちはどんどんいろんなことを忘れていく。でも忘れてはいけない。
 ほかにも、財務省近畿財務局の赤木俊夫さんが自殺に追い込まれた森友学園をめぐる文書改ざん問題、女性と浪人回数の多い受験生を不利に扱っていた医学部入試問題、休刊になった『新潮45』でLGBTに対する差別的な発言を展開した杉田水脈議員の問題など、忘れてはいけない様々な問題を思い起こさせてくれた。
【奥森 広治】

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