本よみ松よみ堂
泉ゆたか著『お江戸けもの医 毛玉堂』

講談社 1450円(税別)

お江戸の獣医・凌雲先生を支える妻・美津の思い

 江戸時代の獣医という珍しい設定の小説だ。
 明和5年というから江戸時代の中頃だろうか。お江戸のペット事情がどんなものだったのか、ちょっと興味が湧いて読んでみた。
 吉田凌雲は小石川養生所でも評判の名医だったが、突然辞め、憔悴しきった様子で寝たり起きたりの生活をしていた。そんな凌雲のもとへなかば押しかけ女房のようにして嫁いできた美津の視点で物語が描かれている
 遠縁の美津と凌雲が初めて会ったのは、美津が8歳、凌雲が13歳の時だった。美津は親から将来は凌雲の嫁になると聞かされていた。いわゆる許嫁(いいなずけ)である。秀才肌の凌雲に最初はとっつきにくいものを感じた美津だったが、幼い頃から体が弱く小石川の医者の世話になったため、自分も将来は医者になりたいと話す凌雲の姿に一目惚れをしてしまう。結婚の話は、その後うやむやになりかけていたが、18歳になったお美津は凌雲が憔悴しきった姿で帰ってきたと聞いて、いてもたってもいられず、世話をするようになったのだ。
 この家には、犬が3匹、猫が1匹いる。
 犬の白太郎は、この家の庭先に捨てられていた。痩せこけている上に怪我もしていた。飼い主に酷い扱いをされていたのか、人間に警戒心が強くなかなか慣れない。幼い頃から筋金入りの動物好きだった美津は愛情をもって世話をし、ついに白太郎の心を開いた。ところがその後、次々に犬猫が家に捨てられるようになった。子犬子猫は新しい飼い主を探す。結局もらい手のなかった黒太郎と茶太郎が家に残っている。動物虐待や無責任な飼い主の様子など、現代のペットの問題も思い起こさせる。
 猫のマネキは凌雲が生家から連れてきたキジトラの老猫だ。
 白太郎の世話をするうちに 少しずつ気力を取り戻し、動物の医者になることにした凌雲。その凌雲を美津が支える。この毛玉堂には、よく美津の幼なじみ仙が顔を出す。仙は江戸の三美人の一人と称され、絵師の鈴木春信がその姿を描きたがるほどの美貌の持ち主だ。旗本・倉地家の跡取り息子、政之助と恋仲で、身分の差はあるが結婚を望んでいる。そんな仙が善次という少年を連れてきた。政之助の頼みで、この少年を預かって欲しいと言う。こうして凌雲、美津の若い夫婦と善次の3人の暮らしが始まった。なぜ凌雲は小石川養生所を辞めることになってしまったのか。なぜあんなにも憔悴していたのか。そして善次はどんな事情があって預けられることになったのか。この謎が最後まで物語を引っ張っていく。
 さて、江戸時代の獣医だか、この物語の中では、薬草を使う他に動物行動学に基づいて問題を解決していく。動物を治療するというよりは、動物がなぜ変調をきたしたか、という謎を解いていくという推理小説のような側面もある。治療する動物は犬猫はもちろんのこと、馬や兎もいる。
 全編に渡って切ないなぁと思うのは、お美津の気持ちだ。凌雲のことが心配で押しかけの女房のようにしてやってきたお美津だが、凌雲が実は自分のことをどう思ってくれているのかがよく分からない。しかも小石川療養所時代に凌雲の側にはお絹という女性がいたことが分かる。小石川療養所で何があったのか、お美津の心は揺れ動くのである。
【奥森 広治】

あわせて読みたい