わたしのページ 2018年9月23日

今年も美しいお月様見たい
 秋の伝統的な行事といえば、十五夜ですね。今年の十五夜は9月24日です。
 十五夜は中秋の名月とも呼ばれていて、昔からお月見をする風習があります。旧暦では月の満ち欠けによって暦を作っていて、7、8、9月を秋としており、そのちょうど真ん中にあたる8月15日を中秋と呼んでいました。
 中秋の名月の日付は旧暦の8月15日なので、現在の新暦では、その年その年で日付が変わります。また、この日が必ず満月かというと、そうではないのです。
 旧暦では、毎月1日が新月(昼間の空で太陽とともに昇り、沈むので目には見えない)となり、15日の夜は満月かそれに近い月と決まっていましたが、新暦では、中秋の名月と満月は1~2日ずれることが多く、今年もずれがあり、翌日の25日が満月になります。
 お月見といえば、月見団子とススキですね。その年の収穫に感謝し、お米の粉で作った団子を捧げたのが月見団子の始まりで、月に見立てた丸い団子をお供えし、それを食べることで、健康や幸せが得られるとされています。
 ススキは、豊作祈願として飾るお米の稲穂の代わりで、この時期には稲穂はまだ無かったので、穂の出たススキを稲穂に見立てて飾ったと言われています。また、ススキの鋭い切り口が、魔除けになるとも言われています。
 お月見をする際は、部屋の電気を消すと、よりクリアに月を見ることができます。また、街灯などが眩しい時は、両手で双眼鏡のような形(丸い筒を2つ)を作って、それを目にペタッとつけて覗くと、周囲の光が遮られて見やすくなりますよ。
 空気が澄んでくる秋は、本当に月が綺麗に見えます。涼しい風に、虫の音も心地よいです。
 今年も美しいお月様を見ることができますように。
(稔台・イオ)

わたしも大台まであと30年
 敬老の日を前に厚生労働省は14日、百才以上となる全国の高齢者は6万9785人と発表しました。そのうち、女性は88%、男性は12%でした。やはり女性の方が長生きすると、家族で凄いと思っています。
 最高齢女性は115歳、男性は113歳。男性は世界最高齢とギネスに認定されたとのことです。千葉県松戸市の百才以上の方は、昨年発表で170人と千葉県で第3位と言うことです。
 わたしもあと30年、まだまだですが、1年1年を大切にすべてのものと人に感謝を忘れることなく、日々頑張っていきたいと思います。
 (胡録台・古希人 70)

歳と共に意識変える事の難しさ

河口愛実(千駄堀)

 関東大震災があったのは、いまから95年前の9月1日の事だった。マグニチュード7・9と推定。死者約10万3千人、全・半壊、流出家屋29万3千超。その被害がどんなに甚大なものであったか、想像を絶する。
 9月1日防災の日には、各地で防災訓練が行われた。読売新聞9月2日の本紙より、「ところによって、深夜の避難訓練がおこなわれた」「JR横須賀駅では、津波に備えて、緊急停止した列車からの避難訓練が行われた」という。また本紙では、西日本豪雨で自治体から避難勧告指示が出されたのに、広島、岡山、愛媛三県の60歳以上の住民のうち97%が、自宅などにとどまっていたとする調査結果が出たという。「勧告にしたがって避難していたらこれ程の被害は出なかっただろう」とも書かれていた。
 また、「高齢者は経験を過信し、今まで被害がなかったから、今回も大丈夫と考えてしまう。意識を変えなければ、今回と同じ被害を招きかねない」という調査結果が出ているとしている。
 このような記事を読み、後期高齢者のわたしは、歳と共に意識を変えることの難しさを痛感。意識の変更を頭の片隅にでもインプットしておこう。そんなことを思いながら、非常持ち出し品、避難常備品のチェックをした。
(後期高齢者)

全く関心なかった歌舞伎に魅了
 芸術の秋がやって来ました。
 10年ほど前、知人の強い勧めがあって、(実はいやいや)「歌舞伎」を見る事になりました。400年を超える歴史とは言え、全く関心のなかったわたしと妻は、気乗りがしませんでした。
 場所は東京歌舞伎座。公演時間は約5時間だと言うが、最後までもつだろうか。
 開演を知らせる柝の音(きのね・拍子木の音)が鳴り、幕が開くとそこは平安の世であり、江戸の世でした。歴史小説とはまた違う義経・弁慶・秀吉・光秀が現れ、美しい衣装や、舞台装置に目を奪われました。まるで夢の中に入り込んだ様でした。
 役者の抑揚の強いセリフ回し、過剰とも思える独特な動作やポーズ。まるでお人形さんの様な華麗な踊り、そのうえ迫力ある三味線・太鼓・唄い。幕が下りる時は、歌舞伎の醍醐味のようなものが涌いてきました。
 歌舞伎・能・狂言は、NHKの子ども向け番組にもあり、幼い頃から伝統文化に触れるなんて、とても素敵ですね。皆さんも、第一歩を踏み出してみませんか。
(歴史は一番 75)

終活って何だろうと考える
 近くに住む親友が亡くなった。難しい病気で冷たく余命宣告され、ある団体の役員をしていたが辞任。「事情は他言無用」とお願いしていたのに噂になってしまい、「裏切られた」と最後まで怒っていた。
 猛暑のせいで病状は悪化したが、気丈だった。自分史や遺言を書き「間に合って良かった」と笑っていた。
 密葬希望だったが、親しくもないのに「参列させて」と押しかけた人たちがいて、最後の希望まで叶わないのかと悲しかった。
 初七日の雨の中、わたしはぼんやりと終活って何だろう、と考えている。
 (牧の原・欅レッド55)

ゴミの片付けを始めて40年
 近所のゴミを片付けている。最初は軽い気持ちでやってみたら、みんな喜ぶし、わたしも朝ムダに早く起きているので運動にもなる、という理由で続けている。
 ゴミの片付けも、始めてもう40年になる。粗大ゴミを出された時は「このゴミを出した方は持ち帰ってください」と紙を貼って、1週間たってもそのままの時は、市役所に電話する。
 松戸市は5分別収集だが、家庭ゴミの出し方の紙を見れば大抵わかるので、今ではみんなきちんと出してくれるようになった。
 自分のボケ防止にもなり一石二鳥。今後も続けていこうと思っている。
 (八ヶ崎・匿名希望66)

白いご飯を食べられる幸せ
 毎日何気なくご飯をいただいています。白いご飯が何よりという人もいれば、パン党の人も増えてきて、お米の消費量が懸念されています。白米はカロリーがあり、昔から旅に出る人には握り飯を持たせたそうです。大変力になるとのことです。
 先日、新聞の投稿欄の「俳壇」に、こんな句が載っていました。
 「篠(すず)の子をとつて味そ汁ひと片食(かたげ)」
 わたしは思わず「アッ!」と言って読み返しました。「ひと片食」とは、亡き母が日頃いっていた言葉です。御櫃(おひつ)をのぞいて「あれっ、ひと片食狂ったよ」とつぶやいていました。食べこんで予定が狂ったから作り足さなくてはと言っていたのです。「ひと片食」は1回分の食事という意味です。懐かしくて母を偲びました。
 幼い頃は平和な時代で、御櫃にはいつも炊いた白いご飯が一杯になって移されていました。そんな日も米国との戦争で、戦中・戦後は中々、お米の食事はとれませんでした。南瓜やお芋、粉をといて丸めて汁に落とした「すいとん」などを食べて生き延びました。
 戦争が半ばになる頃、いよいよ物資が乏しくなってきました。わたしは小学生でした。そんなある日、母とデパートへ向かい、用事を済ませて食堂へ。そこにはお子様ランチが並んでいて、それを注文してくれました。ランチにはいろいろ飾り物がしてあり、小さな旗も立っていて、子どもが喜ぶように作られていました。
 早速、食べ初めると、一口食べたところで口をゆがめました。キレイに盛り付けされた下には麦だけを炊いた麦飯がありました。初めて口にした食事でした。ゴソゴソして味気なく、我慢して食べたものの頭が痛くなってきて、母に「頭が痛くなったよ」と告げました。その原因はなぜだったのかわかりませんが、それにしてもその時代にしては贅沢な方のお子様ランチでした。
 今はホカホカの白いご飯をお腹一杯食べられて幸せです。大事な育ち盛りに空腹を抱えて過ごした時代があったのです。
(小金原・小倉芳子)

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