わたしのページ 2018年8月26日

Pukeさんの作品

東北に希望と勇気与えてくれた
 夏の全国高校野球選手権大会も大阪桐蔭高校が見事優勝しました。そして準優勝ながら、秋田の雑草軍団金足農業高校の頑張りが、東北に新たな希望と勇気を与えてくれました。
 わたしも東北出身ですが、金足農業高校選手全員が地元の秋田出身。また、投手の吉田投手は素晴らしく、全国の人々に感動を与えてくれました。
 高校生の初々しさが一段と試合を盛り上げ最高でした。
 両チームに心から本当にありがとうと拍手を送りたいと思います。
(胡録台・東北出身)

エアコン完備されてなければ…
 昨年の夏休み、市内小学校にエアコンが完備されました。ありがたい事です。この酷暑、ないと思うとゾッとします。
 懇談会や授業参観等、教室内は満員状態なので、やはり暑いですね。本当、エアコンは必須になっていると思います。
 ただ体育館内はついておらず、ニュースや新聞などでも体調不良、熱中症で救急搬送されるのを目にして、今年の娘の小学校の終業式は教室内で行ったそうです。校長先生の迅速な判断がありがたかったです。
 わたし自身も家族も、この大酷暑をのりきるために普段食べない梅干を食べたりしています。暑さに勝つために、皆さんはどうしてますか?
 (樋野口・きみたま 43)

およげるようになりたいな
 7月、和名ヶ谷スポーツセンターの流れるプールに3歳の孫を連れて行った。
 両腕に浮袋を着けて沈まないように安全対策をしっかりとし、丸い浮き輪も持たせて、さあ浸水。孫は浮き輪をビート板のように使い、浮き輪に上半身を乗せてプールを静かに流れていく。初めての体験で、驚きと緊張の中、でも楽しんでいるのがわかる。可愛い。孫と一緒にゆっくり流れていく。
 突然、足をバタバタさせ始めた。バランスを崩して浮き輪から落ち、泣き始めた。が、泣き止むと今度は幼児用プールに向かい、浮き輪に乗って足のバタバタの練習を必死にしている。
 しばらくして自信がついた頃に、再度流れるプールに挑戦へ向かう。練習の甲斐あってか、足のバタバタも少し安定し、プールを静かに流れて行く。
 次の日、短冊に「はやくおよげるようになりたいな」とあった。
(五香南・石塚壽 64)

自然破壊する人類への戒め
 約40年前、中学時代の夏休みは宿題と部活で適度に忙しい毎日だった。
 バドミントン部は、少しの風でもシャトル(羽)の動きが左右されるため、閉め切った体育館での練習だった。それでも、暑さで倒れる部員が一人もいなかったのは、学校の周囲に緑が多い環境だったことと、現在とは暑さの度合いが違っていたからだと思う。
 昔は一週間のうち数回は夕立ちがあり、そのおかげで夜は涼しかった。団地内の治安は良かったので網戸にして寝るのも安心で風が心地良かった。
 当時、国鉄の高槻駅から市バスで15分ほどの山間部を拓いて造成された住宅街にスーパーは1軒もなく、小規模の商店街は日没の頃には閉店し、夜はとっぷりと暗かった。ここ近年のじっとりとまとわりつく、逃げ場のない酷暑は当時の大阪の北摂地域には無縁だった。
 経済活動・大量消費を最優先にし、自然界を次々と破壊していく人類への戒めなのは明白だ。夜間も大量に消費される電力エネルギーを抑えるため、ライフスタイルを変えたり、緑化を推進したり、待ったなしの変換が必要だと思う。
 長い年月をかけて壊したものは、その何倍もの工夫と労力をかけて修復していかなければならないと思う。
(二ッ木・石井裕子)

懐かしい柿羊羹ありがとう
 学生時代の友人が、岐阜に帰省した折に、柿羊羹を買って来てくれました。
 随分昔の事ですが、私も岐阜県を旅した事があるのです。上高地から岐阜に入り、乗鞍岳、高山、岐阜城、そして関ヶ原にあるウォーランドなど、各名所を一週間かけて周りました。名物のゴヘイモチに舌鼓を打ちながら、岐阜の味を心から堪能したものです。
名物の柿羊羹をお土産に買って参りましたが、大変素朴な味わいで、竹で作られている容器にも大変感動しました。
 現在は母親を介護中のため、旅行もままならないわたしにとって、友人がくれた柿羊羹は青春時代を懐かしく思い起こしてくれ、わたしには何よりも嬉しいプレゼントとなり感激しております。
 本当にありがとう。
(常盤平・曖昧模糊)

プラネタリウム室おすすめです
 県外から遊びに来た孫と一緒に、今年40周年を迎えた松戸市民会館プラネタリウム室に行って来ました。
 2010年4月にスペースシャトル「ディスカバリー号」で宇宙へ行った、松戸市出身の宇宙飛行士・山崎直子さんにちなんで「NAOKO SPACEPLANETARIUM」の愛称で親しまれています。同館名誉館長を務める山崎直子さんは、幼少期にこちらのプラネタリウムによく通われていたそうです。
 席数は80席。前列と真ん中はリクライニングシートになっていて、ゆったり見ることができました。
 プログラムは、小さな子ども向けのものと一般向けのものがあるのですが、今回は子ども向けのものを見ました。その日の夜に見られる星を教えてくれたり、星座の物語のお話をしてくれました。
 解説員のライブ(生)解説は大変わかりやすくて、温かみがありました。暗くなった時に怖がる子がいたのですが、優しく語りかけ、上手に進めていて、すごいなぁと思いました。
 あっという間の20分で、孫も楽しかったと喜んでいました。帰りに星座早見盤をもらい、家に帰ると早速切り抜いて作っていました。
 中学生以下と65歳以上の方は無料、大人は50円で素敵な星空を見ることができます。朝の一般の回では、耳の聞こえにくい方も一緒に楽しめる、文字解説付の投影も行っています。
 プラネタリウム室が少しずつ暗くなり、ひとつ、ふたつと星が輝きはじめ、満天の星空になっていく様は、何度見てもワクワクします。
 たくさんの星に囲まれて、楽しいひとときを過ごすことが出来ました。
 (稔台・ぎょしゃ座α星)

終戦の日、わたしは4歳だった
 空襲警報のサイレンが鳴ると、母が4歳だったわたしの手を引き、姉、兄と、家の前の畑に造った防空壕に逃げ込んだ。父はいなかった。
 防空壕に逃げ込む間がない時には、家の雨戸を閉め母は仏壇の前で一心不乱に「南無妙法蓮華経」と唱え続けておりました。姉と兄と私は部屋の隅で布団をかぶって空襲警報の解除を待ちました。
 八月十五日(終戦の日)昭和天皇が「玉音放送」によって「大日本帝国政府がポッタム宣言を受諾」 日本軍の降伏を証明しました。
 もう空襲警報はならない。防空壕に逃げなくともよいのだ。防空壕は埋められ、畑地に戻った。
 秋風が、冷たく感じられる頃、脚絆を巻いた男の人が、家の中に入ってきた。その人が父であることを母が教えてくれた。樺太で軍需品を作っていたのだそうだ。
 父が帰り家族が皆揃った。だが、終戦の後は、食糧難がまっていた。
 (常盤平・後期高齢者)

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