日曜日に観たい この1本
ケイコ 目を澄ませて

 生まれつき両耳が聞こえないケイコは東京の下町にあるジムに所属するプロボクサー。小笠原恵子の自伝「負けないで!」(創出版)をもとに脚色した劇映画だ。ジムにリズミカルに響くパンパンという乾いた音。コーチとミットコンビネーションの練習をするシーン。主演の岸井ゆきのさんは、この作品のためにどれほどトレーニングを積んできたのだろう。ドキュメンタリーを観ているようなリアル感がある。
 この作品は16ミリフィルムで撮られたという。そこにどんな効果が生まれるのか、あまり専門的なことは分からない。想像するに、撮り直しが簡単にできないので、撮影に緊張感が生まれるだろうし、映像的には、より人間の眼に近い感じで、明るさ、暗さがあいまいになっていると思う。舞台となるのは、荒川沿いの下町だと思われるが、夜の鉄橋を渡る列車と川面に映る明かりが印象的だ。
 ケイコは不愛想で愛想笑いもできない。ボクサーとしての才能があるわけでもない。ただ、人一倍熱心に練習し、ひたむきにボクシングに取り組む姿勢に、自然と三浦友和演じる会長も、二人のコーチも熱が入るのだろう。
 生活音や環境音が印象的に使われており、音楽による演出が一切ない。生活音や環境音を強調することで、逆に音のない世界に生きるケイコの日常を際立たせる狙いがあるようだ。
 説明的な部分が極力省かれているため、ケイコが何を考えているのかが分からず、その表情から想像するしかない。「目を澄ませて」という言葉は観客に投げかけられている言葉のように感じる。ケイコの表情をじっと見つめていると、なんだか胸がいっぱいになって、涙がにじんでくるのを感じた。
 雑誌かなにかの取材に答えて、会長が「ケイコは目がいい」と話すシーンがある。試合中にレフリーの声やセコンドの指示、ゴングの音も聞こえない。ボクサーとしては、致命的なハンデだが、ケイコは目がいい、人間としての器量がある、と会長は言う。「目を澄ませて」には、もちろんケイコに向けた意味もあると思う。
 デビューから2戦2勝したケイコは、第3戦を前に、このままボクシングを続けていいのか迷っている。なぜそう思うのか、前述したように説明を極力省いた作品なので、はっきりとは分からない。ケイコは弟と同居しており、母は試合のたびに上京してくる。でも、母は試合を直視できない。そんな母の思いから迷っているのか、2戦目の相手を病院送りにしてしまったことを気にしているのか。それとも、また別の思いからか。
 そんな折、経営不振から、ジムの閉鎖が決まる。会長は持病が悪化して、倒れてしまう。このジムでは最後の試合となる第3戦を前に、ケイコはどうするのか。
 会長とケイコは師弟であり、親子のようでもある。多くは語らなくても、二人の間に流れる空気で、その信頼関係が感じられる。閉鎖が決まったジムの大きな鏡の前で、二人が並んでシャドーボクシングをするシーンがある。ほんのひと時のこの瞬間が、ずっと続いてほしい。そんな時間のように感じた。【戸田 照朗】
 監督=三宅唱/出演=岸井ゆきの、三浦誠己、松浦慎一郎、佐藤緋美、中原ナナ、足立智充、清水優、丈太郎、安光隆太郎、渡辺真起子、中村優子、中島ひろ子、仙道敦子、三浦友和/2022年、日本
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 「ケイコ 目を澄ませて」、DVD4500円(税抜)、ブルーレイ5500円(税抜)、10月4日発売、発売・販売元=株式会社ハピネット・メディアマーケティング

©2022 映画「ケイコ 目を澄ませて」製作委員会/COMME DES CINÉMAS

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