チューニング 2020年10月25日

 1867年、第15代将軍となった徳川慶喜は翌年のパリ万国博覧会への正式参加を決め、将軍の名代として13歳の弟・昭武をパリに派遣することを決めた。この時の使節団には渋沢栄一など、維新後日本の近代化に貢献した英才が含まれていた▼渋沢栄一は来年のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」の主人公で、徳川昭武を紹介する報道関係者向けのツアーを市が企画している。水戸藩主となった昭武が明治17年に隠居後の住まいとしたのが戸定が丘歴史公園にある戸定邸だ。渋沢栄一と徳川昭武を関連付けて市をピーアールしたい考えのようだ。1998年の大河ドラマ「徳川慶喜」が放送された時には戸定邸も賑わった▼史料を確認したわけではないので、想像でしかないが、明治になってからも渋沢栄一と昭武の交流はあったかもしれない。渋沢栄一は旧小金宿の宿屋・京屋にも宿泊したことがあるという▼松戸という土地柄は意外と歴史の舞台になりやすい。紙敷の語源は、平安時代中期に大暴れした平将門の上屋敷という言い伝えがある。鎌倉幕府の創設に寄与した千葉氏の影響も強く、戦国時代には高城氏の小金城が豊臣秀吉の関東攻めで落城した。江戸時代には水戸黄門こと徳川光圀が鷹狩りに訪れ、多くの伝説を残した。

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