わたしのページ(読者投稿)
2019年4月28日

桜咲く頃出かけた同級会で
 桜の咲く頃、同級会をと案内状が届いた。もうこれが最後になるかもしれないと書かれ、92歳の担任の先生も来られるというので、夫は出かけて行った。常盤平の桜も満開に近く、本当に桜の頃ねと思った。
 体力的に、2次会、3次会も無く2時間余りでお開きになって帰って来た。玄関に入るなり、「疲れた!」の第一声。40人ほどの同級生のうち、連絡が取れたのは15人だけ、出席者は9人と寂しいものだったという。
 同じことを何度も繰り返して話す人、会費を納めたのに、夫が払うのを見ていて、わたしも払わなければとお財布を出す同級生に、「今払ったでしょう」というと「そうだったかしら?」と。財布の中を見ると、1万円出して4千円のお釣りと小銭だけ。それを見て、やっと「払ったのね」と納得したそうだ。
 一人の同級生は、娘さんが心配なので車で送ってきて駅の近くの降りた傍の駐車場で待っているといわれたのだが、その場所が分からなくなったというので、娘さんの携帯の番号を聞き、場所を教えてもらいそこまで送ってきたという。
 担任の先生は階段がのぼれず、教え子が両脇を抱えるようにしてやっと、上がれたという。
 二度会費を納めようとした同級生が別れ際に、「また会おうね!」と言っていたという。なんか、ちょっと泣かせるような微笑ましい場面を想像し、「それでも先生も同級生も9人も出席したんだから、立派なものよ」と、何が立派なのかちょっと迷いながらも夫に言った。
 夫は、「そうか、そう思えばいいのか!」と自分に言い聞かせるように言っていた。(常盤平・後期高齢者)

節電への意識や行動どこへ
 20代の頃だったか、ふと夜空を見上げた時、星がひとつ右斜め下へスッと落ち消えて失くなった。神秘的な瞬間に遭遇した時の感動は忘れない。
 あるベンチャー企業が人工流れ星を開発した。国外では夜空にネオン広告を浮かび上がらせる計画を立ち上げる企業があるという。
 とうとう宇宙産業もここまで来てしまったのかと恐ろしくかつ悲しくなった。
 仕事で暗鬱とした気分の時、夜空を見上げたり、月や星に天へ昇った家族、友人の顔を思う経験は誰しも一度や二度は必ずあると思う。
 見上げる先に、人工の星やネオン広告は決して見たくはない。
 世の中、不自然にエネルギーと労力を使いアピールするもので溢れている。街路樹のイルミネーション、建物や水族館の魚たちを照らすプロジェクションマッピング…。
 エネルギー自給率の低い日本。東北・東関東大震災から8年という歳月が流れ、生活の中で「節電」という意識・行動はすっかりどこかへ消え去ってしまった。
 儚い流れ星のようにほんの一瞬の出来事だったのだろうか…。(二ツ木・石井裕子)

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安心感とやさしさあった期日前投票
 4月7日に千葉県議会議員一般選挙がありましたね。この日は地元の桜まつりと重なったので、期日前投票をしてきました。最近は大した用事がない時でも、よく期日前投票を利用します。
 期日前投票は、投票所に持っていく投票所整理券の裏面に印刷してある宣誓書に必要事項を記入していくだけで、とても簡単にできます。宣誓書は期日前投票所にも置いてあるので、整理券を持っていくのを忘れても投票できます。
 わたしの家からは、投票日当日に行く投票所よりも期日前投票所の方がずっと距離はあるのですが、期間が約1週間あるので、天気の良い日を選んで、散歩気分でちょっと遠くまで出かけます。
 期日前に投票を済ませると、当日に大雨が降っても、もう投票に行かなくていいんだと思うとちょっと嬉しくなります。また、急な用事ができても大丈夫という安心感もあります。
 それと、これが一番大きな理由なのですが、わたしが行く期日前投票所の方々の対応がとてもあたたかいのです。みなさん優しく声をかけてくれて、あー来てよかったなぁという気持ちになります。これは投票日当日には味わったことのないものでした。
 あいさつや労いなど、ちょっとした声かけをいただくと、幸せな気持ちになります。おかげさまで、あたたかな気持ちで一日を過ごすことが出来ました。
(稔台・末広)

春のぼたん祭りが楽しみ!
 JR上野駅から徒歩5分。そこは上野東照宮の境内です。この4月中旬より約1か月、百花の王と呼ばれる、「春のぼたん祭」が催されています。
 わたしは2月の初旬に、「冬ぼたん苑」を鑑賞しました。当日は暖かく穏やかな晴天で、花日和でした。
 代表的な「花王」「鎌田藤」に魅せられ、そのかたわらに「八重桜」「千代椿」を見つけました。「ぼたんなのに桜? 椿?」名付け親の遊び心を見つけました。
 そして1個1個の花には、三角形をした雪帽子がかぶせられ、その日はまさに青空でしたが、雪の日の光景まで目に浮かぶようでした。
 白色の中心部に淡い黄色がかった花は、群を抜いて美しく、またピンクのバラの様な花もあり、薄い花びらは太陽の光を受け、キラキラ輝いていました。
苑内は形・色のバリエーション豊かな花で包まれ、百花繚乱そのものでした。また花ビラや葉が、シャクヤクそっくりな花も見つけてビックリ。気懸りで帰宅後調べてみたら、シャクヤクとの交配種が多い事、そしてボタンは落葉低木、シャクヤクは宿根草と知りました。
 鑑賞の楽しみには、「その場で突然知る」「事前に学習しておく」の2種がありますが、今回は後方だったようで反省しました。大型連休の「春のぼたん祭」が楽しみです。(ぼたんは一番 75)

平和を手離すことのないように
 今から74年前、3月10日に東京大空襲があって、約10万人の人が犠牲になりました。わたしにも、東京大空襲の乙女の日の記憶がよみがえります。
 昭和20年に入ると、戦局はますます厳しくなる一方で、母と小学生の妹は東京の近在へ縁を頼って疎開しました。その時、そこでも食料が乏しくなり野草を摘んでゆでて食べました。野蒜(のびる)とか蓬(よもぎ)などです。家族に会いに疎開先へ行ったとき一緒に摘みました。わたしは女学校1年生で、東京に残り通学をしていました。
 明日は期末試験という夜。夢中で夜中まで勉強をしましたが、その夜、予想もしない東京大空襲になりました。我が家は東京のはずれにあったので爆撃は免れたものの恐怖に震えました。はるか南の空を見ると、一面に空が真っ赤に染まり、学校が山の手にあったためとても不安にかられました。
 全焼したことを知ったのは翌日で、試験勉強は水の泡。
 校舎は白い建物で古い木造でしたがモダンでした。空から目立ったのでしょうか、直撃弾を受けたのです。
 その夜から級友とはちりぢりになり、再び会うことはできませんでした。東京の中心部と下町に住んでいた人々は多大な死者と罹災者になりました。そのことが後に明らかにされたのですが、試験勉強が無駄になったことなど全く些細なことと知りました。
 それからも毎日が不安を抱えて生きる日々でしたが、「勝利の日まで」という歌詞の軍歌を老いも若きも歌ってがんばりました。消失した学校はその後、とうとう再建は成りませんでした。
 今、戦争のにおいがするとささやかれています。再び逃げ惑うことのないように。平和を手離すことのないように。若い人たちとともに守っていきたいものです。(小金原・小倉芳子)

心が満たされればマナーも
 前号の投稿「マナー違反の数々にがっかり…」のちゃーちゃんさんへ。
 20年前のわたしも美しくない女でした。他人の目なんて無いも同然でした。本当に嫌な女だったと思います。
 それでも運良く結婚し、出産し、大切な家族ができました。すると、昔のわたしと同一人物とは思えない人格が出てきました。困っている人にはこちらから声をかけ、マナーがわからない人にはやんわり話しかけ…。
 あの頃の自分を恥じて反省しています。
 自分の分析によると、悪い人たちは心が満たされず気の毒な環境です。満たされているわたしたちがやさしさを分けてあげたいです。(殿平賀・ももハッピー 42)

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