わたしのページ(読者投稿) 2018年11月25日

みかんさんの作品

旧友との素晴らしい5分の船旅
 先日、高知の中学時代の親友と再会しました。わたしが高知を訪れて以来、14年ぶりでした。
 近くの観光地を案内してと言われ、矢切の渡しから柴又帝釈天まで行くことになりました。ぶらぶら歩くこと30分、渡し場に着くと昔ながらの風情のある雰囲気。看板に、観光案内はなし、と書かれていたのでそのつもりで乗船。若いお兄さん船頭は、にこりともせず何かぶっきらぼうな感じでしたが、船が動き出すと話が始まりました。
 台風や大雨の時は、船着場や船が流されてしまい、復興に多くの時間と費用がかかることや、ちょっとした観光案内、何よりおもしろかったのが、先ほどの表情ひとつ変えぬ彼から出る本当なのか冗談なのかわからないプロのお笑い芸人並みの話でした。
 江戸川のなだらかに流れる水面を身体に感じながら、旧友とすばらしい時を過ごしました。4時の最終船でしたので、サービスしてくれたのかもしれませんが、たった5分の船旅、わたしたちの最高の思い出になりました。
 矢切の渡しは、運営するにも関係者の計り知れない尽力があると思います。感謝と同時に、これからもずっと続いてほしいと思いました。
(栗山・中田直美)

共に生きるためには知識が必要
 7年前、庭に子猫が一匹。どうやら弱くて親猫に捨てられたらしい。まだ生まれて間もなく、ようやく目が開いたくらいだった。
 飼ってくれる人を探したがなかなか見つからず、哺乳瓶でミルクを飲ませたり、オシッコをさせたりするうちに情がわいてしまった。特に、わたしに懐き、その可愛さにメロメロ。
 先日、ひょんなことから興奮した猫の歯が手の甲にあたってしまった。数ミリの傷だったので絆創膏を貼り、普通に過ごした。ところが夜になり、妙にズキズキして腫れてきた。翌朝にはますますひどい状態になり、総合病院を受診。傷口から入った菌で関節が大きく腫れてしまった。処置をしてもらい、抗生物質を飲む羽目に。
 病院から帰ると、包帯を巻いた手にも猫は何事もなかったかのように、ゴロゴロ言いながら擦り寄ってくる。数週間投薬を続け、ようやく回復した。
 最近、猫ブームではあるけれど、共に生きていくにはそれなりの知識が必要だと思った。
 こうしている間も、傍らから一時も離れようとせず、やはり猫は可愛い。
(古ヶ崎・あさき)

 

杏珠(千駄堀)

転勤で全国の城や寺院巡り
 転勤のある企業に勤めており、本当に全国転勤をさせてくれます。岩手、栃木、京都、神戸、大阪などなどです。今はご縁あって、松戸市に賃貸マンションを借りて住んでおります。
 3年後ごとの転居もポジティブに考えて、その土地々々の城跡や寺院巡りを夫婦で楽しんできました。折からのお城ブームの中で、日本城郭協会選定の日本100名城、続日本100名城を制覇することができました。いわゆる、全国区のメジャーな整備されたお城ばかりです。
 駅名にその名を冠した小金井城、軍神謙信が大敗して逃げ去った白井城や国府台などの千葉県の城跡や寺院を、次回の転勤までにゆっくり楽しみたいと思います。
 (常盤平・松戸のアレックス 49)

少しでも福祉や災害地の救済に
 先日、「陸自の迫撃砲誤射、国道で男性乗る車のガラス割れる」とニュースが流れました。
 滋賀県高島市今津町北生見の国道303号で、停車中の車の近くに同市の陸上自衛隊饗庭野演習場の訓練中に何らかの原因で演習場外に飛び出したとみられる実弾が着弾したとの事。
 陸自の説明によると、同日は大阪府和泉市の信太山(しのだやま)駐屯地所属の第37普通科連隊が、軽対戦車誘導弾や81ミリ迫撃砲を使った射撃訓練をしていたとのこと。第二次世界大戦が終わって70年以上も経っているのに、未だこの様な訓練が行われているのに驚きでした。
 平和を売り物にしている日本の自衛隊が、地上戦で人を殺す訓練です。一方では、敵国から発射されたミサイルを迎撃する1基3千億円超の「イージス・アショア」の導入計画や、すでに一部の航空自衛隊基地に配備された1基100億円超の戦闘機F―35A等への出資等、とても平和という文言に相応しくないことが行われているのが現状です。
 さらに海上自衛隊の航空基地では、今時、海中の潜水艦を探す対潜哨戒機P3Cの訓練も盛んに行われています。この機種も40数年前に配備されて老朽化したので新機種として国産でP-1が製造され、すでに厚木基地に配備されています。これは最新設備が装備され、しかも4発のジェットエンジンを装着した中型の旅客機並みです。これにも開発費が数千億円超使われております。
 このように防衛費は湯水のごとく使われている昨今、少しでも福祉や災害地の救済等に回してくれることを願うばかりです。
 (小金きよしヶ丘・ピース)

旧齋藤邸で素敵な一日過ごせた
 10月27日に行われた、旧齋藤邸祭りに行ってきました。
 会場の旧齋藤邸は、明治34年に建築された茅葺(かやぶき)屋根の木造住宅で、約5500平方メートルの広大な敷地には、主屋(しゅおく)のほか、離れ、竹林、竹紙工房などがあります。
 昭和39年に故・齋藤雄三氏が取得し、妻の故・齋藤トシ氏が平成10年、松戸市に寄付されました。
 古くからの地域の景観を今に伝えるものと評価され、昨年6月に市で初めて、国の登録有形文化財(建造物)に登録された古民家です。現在は、利用・見学、竹紙漉(す)き体験など、生涯学習の場として活用されています。
東松戸駅から徒歩約10分のところにあり、ずっと行ってみたいと思っていたのですがなかなか行く機会がなく、今回初めて訪れることができました。
 門をくぐると、広い庭があり、たくさんの樹木や植物がありました。ススキの穂が日の光を受けてキラキラ輝き、梅や松などの古木は見事な枝ぶりで、古民家をより引き立てていました。茅葺屋根の前に立つと、懐かしい風景に、いつもより時間がゆっくりと流れているように感じました。主屋の裏側にある竹林は、個人の庭とは思えないほどの広さがあり、天に伸びゆく青々とした竹はとても美しく、生命力に溢れていました。
 朝に降っていた雨が嘘のように晴れ渡り、旧齋藤邸祭りはたくさんの来場者でにぎわっていました。メインプログラムのコンサートの他に、竹紙漉き体験、機織り体験、絵手紙製作体験などのコーナーに、竹林でのアートパネル展示、軽食や野菜販売などもありました。豚汁の無料サービスもあり、美味しくいただきました。
 身近で貴重な文化財に触れることができ、とても素敵な一日を過ごすことができました。
(稔台・落陽)

一時しのぎではない対策を
 労働力不足から女性にも働いてもらおうと、保育所を場所問わず増やしている。元気な高齢者には70歳まで働いてもらおうと70歳定年説が出てきた。外国人の単純労働者を受け入れよう。但し単純労働者の家族は受け入れない。
 こんな意見が国会で飛び交っている。
 女性に働いてもらうために、都市部は特に庭のない保育所ができ、子どもの養育にとって、よい環境とはいえない。狭い敷地に子どもを詰め込んで、将来を担う子どもたちの成長に悪影響はないだろうか。
 70歳定年制も、年金が目減りしている状態では、健康な人は働くのもいいとは思うけれど、高齢化の中で民生委員のなり手がなく、75歳定年が、78歳まで引き上げられた。健康寿命、活動寿命を伸ばすことは必需だが、これはまるで老老介護のようなものだ。
 単純労働者は、家族と一緒に暮らすことは出来ないという。労働力不足だからといって労働力さえ得られればよいのか。人間が人間らしく暮らすということから、かけ離れているのではなかろうか。
 かって、フランスが戦後の人口減により多くの移民を受け入れていたが、今は飽和状態で特殊技能者以外は受け入れないという。移民の暴動もあった。
 こういう例をみても、一時しのぎではなく、長い目で時代、時代を受け止め対応してゆくべきではなかろうか。
(常盤平・後期高齢者)

 

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東京の新名所は人・人・人
 東京の新名所の一つ、「東京ミッドタウン日比谷」に行ってみました。
 時代を先取りした本屋さんには幾重の本棚があり、その奥には定番のカフェはもちろん、大型の居酒屋までありました。長いカウンターの前には丸イスが並び、壁にはびっしり貼られた赤枠の正札。レトロな昭和が再現されていました。
 その本屋さんの前には床屋さんがあって、本屋さん・居酒屋・床屋さんはワンセットとの事。大都会のど真ん中に、小さな「三丁目の夕日」が見えました。
 驚いたのは男女のトイレでした。表通路より奥に入ると、突然長いカウンターが現れ、ホテルマンの様な方が5、6人、直立不動で立っていました。男女のトイレの前にはそれぞれ大きな広い部屋があり、天井には華やかなシャンデリアが煌めいていました。
 友が「『ドレッシングラウンジ』って言うんだって。ここでドレスアップして、ホテルや高級レストランに出かけるんだって」と、教えてくれました。
 ビル内は新しい物と古い物とが混然としていて、何とも不思議な世界でした。そしてあちこちのお店も通路も人・人・人…。そう言えばわたしもその一人でした。 
(三丁目一番 75)

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