本よみ松よみ堂
悟浄出立

中国の古典を題材に登場人物の心の動き丁寧に描く

悟浄出立

万城目学 著

新潮社 1300円(税別)

 2014年7月発行。まるごと一冊「西遊記」を題材に沙悟浄(さごじょう)の視点から描いた作品なのかと思い読み始めたが、「西遊記」は最初の一編だけで、いずれも中国の古典に題材を取った五篇からなる短編集だった。
 私は中国の古典をほとんど読んだことがなく、高校の漢文の時間に得たおぼろげな記憶しかないが、それでも楽しめた。
 もちろん西遊記は知っている(主にテレビドラマの知識だが)。「悟浄出立」は、悟浄の目から見た猪八戒(ちょはっかい)の話だ。愚痴ばかりをこぼし、女と食べ物の誘惑にはめっぽう弱く、直ぐに妖魔の仕掛けた罠にかかり、一行の足を引っ張っているばかりいる八戒。悟浄以上に「脇役」のイメージが強い登場人物である。しかし、その八戒は、地上に落ちる前、天界では「天蓬元帥(てんぽうげんすい)」という無敵の将軍だったという。このことをずっと不思議に思っていた悟浄は八戒を見て、自らのゆく道についても考えるようになる。
 「趙雲西航」は「三国志」から。残念ながら「三国志」も読んだことがないので、元になるエピソードがあるのかどうかはわからない。劉備(りゅうび)率いる蜀(しょく)の国の歴戦の名将、張飛(ちょうひ)と趙雲(ちょううん)が戦地に向かう長い船旅で暇を持て余している。船には軍師の諸葛亮(孔明)も乗っている。
 50歳を迎えた趙雲は、どうも気分が晴れない。その原因は、船酔いのためか、それとも長年の同僚であり、潔癖な趙雲とは正反対の粗暴な張飛へのわだかまりのためか、と趙雲は思いを巡らせる。やがて、趙雲が思いを馳せたのは、二度ともどることのない故郷の両親だった。
 「虞姫寂静」は「四面楚歌(しめんそか)」の故事から。前漢の時代、丘の上の砦にこもった項羽(こうう)は丘を囲む劉邦(りゅうほう)軍の兵が自分の故郷である楚(そ)の歌を歌うのを聞いて、故郷の兵まで寝返ったのかと考え、死を覚悟する。丘の上の砦には、寵姫(ちょうき)の虞美人(ぐびじん)と愛馬の騅(すい)も連れてきていた。項羽は虞美人を逃がそうとするが、虞美人は納得がいかない。虞美人の自らの存在をかけた凄まじい思いがグイグイと迫ってくる迫力の一編である。
 「法家孤憤」は秦の始皇帝の暗殺を企て、返り討ちにあった荊軻(けいか)の話による。五篇目の「父司馬遷」にも出てくるが、荊軻という人物は暴君だった始皇帝の刺客として人気があったようだ。この物語では、「けいか」という名前の読みが同じで、秦の王宮で働く京科(けいか)という官吏を通して、この事件が描かれる。京科は、死んだ刺客は、故郷の邯鄲(かんたん)の役所で官吏になるための試験を一緒に受けた荊軻という人物ではないかと思いを巡らせる。ほとんど勉強をしておらず、試験もうまくいかなかった自分に比べ、荊軻は長年官吏になるための勉強をしていた。名前の取り違えで、偶然自分が試験に受かり、真面目な荊軻の人生を狂わせてしまったのではないかとの思いがある。
 「父司馬遷」は「史記」という有名な中国の歴史書を記した司馬遷(しばせん)の話。司馬遷は李陵(りりょう)という将軍の弁護をしたため、帝の怒りに触れ、死罪の代わりに宮刑(きゅうけい)(腐刑)という男が男でなくなる刑を受けた。汚名を受け、母が再婚した家族は、3年ぶりに出獄した司馬遷に背を向けるが、娘の栄(えい)だけが、父に会いにいく。「史記」が完成する前のエピソード。2人の兄に比べ、十分に父の愛情を受けたとは言えない栄だけが父の背中を押す。
 短いながらも読み応えのある短編集だった。著者の作品を読んだのは今回が初めてなので、他の作品がどんな雰囲気なのかは分からないが、デビュー作の「鴨川ホルモー」など、タイトルからしてもっとポップな書き方をしているのではないかと推測する。この短編集では、登場人物の心の動きを丁寧に描いているように感じた。
 森見登美彦が書いた「新釈 走れメロス」が印象に残っていて、この本を手にとったようなところもある。やはり古典を下敷きにしており、中には中島敦の「山月記」をモチーフにしたものもあった。森見登美彦も著者と同じ京都大学出身で、デビューも同じ頃。偶然かもしれないが。
【奥森 広治】

 

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