わたしのページ 2018年4月22日

ゆうくんさんの作品

花や自然にふれ心を元気に
 桜が咲き始めると、街中の花もいっせいに彩られ、寂しかった公園の花壇も華やかになります。
 わたしの大好きな公園のひとつに、東松戸ゆいの花公園があります。東松戸駅から徒歩約8分にある植物公園で、たくさんの樹木や草花が植えられています。
 ゆいの花公園は、松戸市内に住まわれる篤志家の方が、私有地を自費で公園として整備した後に、市に寄贈した施設です。平成19年5月に開園した際、建物はもちろん、約200種の樹木や草花などを植栽した上で、市に引き渡されました。
 公園名称のゆいの花は、実在する花ではなく、市民一人ひとりが花によって結ばれ、花を通じて輪が広がり、心の潤いや安らぎを感じてもらいたい、という願いを込めて、「ゆい(結い)の花」と名づけられました。
 その後の植栽や、草花の維持、管理はボランティアの方が携わってくれています。とても丁寧に手入れをされているので、いつも綺麗で気持ちの良い公園です。
 素敵なデザインの緑地空間で、芝生広場でのんびり寝転がったり、お弁当を食べたり、お洒落なガラス張りのハウスの中で休憩することもできます。
 また、花や緑に親しんでもらうために、樹木や草花に名前の書かれたプレートが添えられているので、勉強にもなります。本当に色々な植物があるので、さらっと歩いてしまってはもったいない。出来れば、端の方まで歩いて、じっくり観察してみてください。きっと、お気に入りの樹木や草花が見つかります。はじめての植物に出会えることも。
 桜の木も、たくさんの種類が植えられています。桜も含め、四季折々の花たちが、少しずつ時期をずらしながら開花していくので、今日はどんな花に出会えるかな、と訪れる度にワクワクします。
 4月の上旬に行った時は、ヤマベニシダレ(桜)ベンペイシダレ(桃)、マグノリア(モクレン)、セイヨウシャクナゲ、スミレやチューリップなどなど、色とりどりの花が綺麗に咲いていました。
 花や自然にふれると、心が和んだり、なぐさめられたりします。日々の生活に疲れていたり、落ち込んでいる時などは、ぜひ、花の咲いている公園に行ってみてください。花を見ることで、きっと元気が出てくると思います。
 (稔台・モンシロチョウ)

これって望みすぎでしょうか?
 突然の病で、入院することになってしまいました。
 昼食は食堂の四人テーブル席で、席に名札も貼ってありました。わたしがそこに行くと、すでに同性同年代の3人が食事をしていました。彼らはそれぞれの病状からか、顔はうつむき加減で箸を動かしていました。
 わたしは勇気を出して「はじめまして○○です。よろしくお願いします」と、明るく声をかけてみました。3人はチラッと見ただけで、頭を下げた風もなく、わたしには何の反応もないように感じました。
 そして数か月後、3人はそれぞれ黙ったまま退院していきました。入れ替わりに同年代の方が来ましたが、彼もまた、目も合わせず口を閉ざしたままでした。
 お互いに病人だからこそ会話をしたくない、その心情は理解できますが、せめて、せめて会釈とか挨拶ぐらいと思うのは高望みでしょうか(一方、女性はすぐ仲良しになれる何かを持ち合わせているようですね)。
 長い年月を生きてきた高齢者同志、口下手でシャイな人間だからとか図々しくなれないとか言わず、そこは大人になって、会釈とか簡単な挨拶だけでも交わしましょうよ。これって望みすぎでしょうかねえ。
(健康一番 74)

出来る事なら母ともう一度
 わたしは、現在88歳の母親を介護中です。介護生活8年になります。
 桜が開花して、新緑の美しい季節を迎えるこの時期になると思い出すのは、母が元気だった頃、毎年大好きな京都旅行を楽しんだ事です。
 母と神社仏閣を散策して、大変楽しい時間を過ごしましたが、中でも、大好きなお寺は大原の三千院です。
 嵯峨野とは異なる雰囲気の静かなお寺で、1日中いても飽きる事なく、特に新緑や紅葉の時期は本当に美しく、母と心から堪能したものです。
 その母親も、今では歩行困難の不自由な生活を強いられており、今は思い出に浸るのみですが、出来ることなら、もう一度、大好きな京都を母と再び訪れたいと願うわたしです。
 (常盤平・曖昧模糊63)

今年は二度、桜の季節楽しんだ
 今冬の寒暖の差が激しかったせいか、今年は例年になく早く桜が開花。
 ぼんぼりも早く取り付けられ、3月下旬は花を愛でる人たちが三々五々連れ立ち、車道も花を見ながらノロノロ運転。満開の花の下の渋滞も、例年のことでしょうがないかなと思う風景。
 陽射しの下で開花したばかりの白い花びらが、時間とともに桃色に色づいて行くのを楽しんだり、街燈に浮き出た夜桜はシンプルで、ライトアップとは違う神秘な世界を醸し出して見惚れた。
 桜まつりは葉桜。それでも予報に反して、2日間ともまあまあのお天気。
 露天商が並び、若葉が萌え出ずる下、いろいろなイベントが用意され、小中学生の踊り、吹奏楽、パレード、神輿、山車、サンバその他いろいろと見られた。
 まるで前夜祭のような満開の桜を楽しみ、祭り当日は、いろいろなイベントを楽しませていただいた。
 今年は、桜の開花と祭りの間がだいぶあったので、二度楽しませていただいた。
(後期高齢者)

今年もきれいなツツジが咲きました。(胡録台・大谷相子)

新たな被害者出ない事祈る
 子や孫を名乗る電話ではありませんが、我が家にも明らかな詐欺とわかる電話がありました。
 わたしは常に、家の電話は留守電にして、番号表示を見てから出るようにしていますが、その時は○○圏外との表示。受話器を取ると、わたしの姓名をはっきり告げられ、「はい」と答えると「こちら船橋の○○百貨店ですが、今婦人服売場であなたのカードを使って、6万円の買物をした方がいます。この電話ではなくて、他のものである所へ電話することができますか」とのこと。
 わたしは、そのお店のカードは持っていませんし、詐欺電話だと直感し、主人に受話器を渡すと、相手は一言もなく電話を切りました。
 今まで、お金をだまし取られたニュースを見ていると、子や孫と言われ代わりにきた人にお金を渡してから確認の電話をしています。まず、子や孫に先に確認をしたならば、お金は渡さずに済んだはずです。そこがとても残念です。
 これ以上、被害者が出ないことを祈るのみです。
 (詐欺電話に注意 72)

閉塞感に風穴開けてほしい
 「コラッ、出目金!」「おばば、どうしたん?」「何やってんの?黒豚」。
 約40年前、中学時代のクラスでは、今じゃ人権侵害甚だしいあだ名が飛び交っていた。不思議と苦情はなかった。
 担任の先生の発案で、班ごとにノートを回し、それぞれが1週間以内にさまざまな思いを吐露したり、何気ない日常の発見や絵を書いて、次の人に渡していた。先生が目に留まった内容を学級通信に載せて、みんなで共有したり、ホームルームの議題になったりもした。
 今の時代、小学生からスマホを持ち、情報過多の中、老いも若きも生きている。偽の情報に惑わされたり、知らぬ間に個人情報が流出していたり、本当にややこしい。
 新年度が始まり、学校や社会でも少し生活に慣れてきた頃、早速、今の状況に閉塞感を覚える人も少なくないと思う。どうか別の世界、本の中や趣味の世界にも身を置いて、閉塞感に風穴を開けてほしい。
 自分たちの子ども時代は、本音で生徒同士が意見を交わし議論していた。おかげで全員、元気に卒業できた。
 今は傷つくことを恐れ、自分をさらけ出すこともしないまま、殻に閉じこもってしまうことが多いように思う。
(二ツ木・石井裕子)

「穿ち」がきいた川柳作りたい
 わたしは文学を趣味にしています。
 今から10数年前、文章を書くことに行き詰ってしまいました。文章といっても、小さな同人誌の集まりで、日常のくらしをエッセイにして書くのがせいぜいでした。
 そんな中、「川柳なら短くて楽でいいかなぁ」と、自己流で作っていたこともあって、川柳の同好会へ入りました。一緒に同人誌で勉強していた友だちも、同じ時期に俳句の会へ移って、いま俳句に本腰を入れています。
 ある日、同好会の人に「川柳と俳句、どっちが難しい?」と問いかけますと、その人は「俳句は『季語』があり、それを使うからやさしいかな」と言って、「やっぱり川柳ね。川柳には『穿(うが)ち』『風刺』、それに『人間味』を詠み込まなくてはならないから難しい」と付け加えました。
 五七五に指を打っては句を作るのに苦心して、月1回の例会日までに課題の句を送りました。8畳間をぐるぐると指を折りながら回っては句を練りました。そばで見ていた姉が、よほどおかしかったのでしょう、吹き出したことがあります。
 最近では新聞の「時事川柳」と「熟年川柳」、それに支局の「文芸欄の川柳」等を読んでいます。
 同好会の人の中に「江戸川柳」の会にも勉強に行っている人がいて、80歳を迎えた女性ですが、その前向きな姿勢にわたしのライバル意識は高まります。
 いま、手許にある江戸川柳の本の中に、こんな句があります。
 〈木枯やあとで芽をふけ川柳〉
 川柳の開祖「柄井川柳」の作です。心の奥深くしみいります。
 「穿ち」がきいていて「ユーモア」があって人を笑わせて、また心の奥を覗き見てもらえるような句が作れるように勉強したいです。とても難しいと思います。
(小金原・小倉芳子)

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